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  管理人・歩く猫 これっぱかしの宝物について。真田丸とネット小説など。ご感想・メッセージなどは拍手のメッセージ欄でも各記事コメントでもお気軽にどうぞ
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どうにも長くなっていくので分割~

思うぞんぶんネタバレ・引用しています。感想はあくまで私の主観的なものであり、ふだん本を読むときと同じ、一回さあっと読んだ読者としての印象です。

「自分ならどう作るか」ということを考えたくなってしつこく書かせていただいている箇所もあります。長いときはえろう長いのですが、私の誤読であれば書き手さんが「それは違うぞ」と思えるよう具体的に書いてみたつもりです。

拍手[0回]


D-07 そらをみた人魚姫
童話の続編という入り口から、改革者による政権交代劇という意表を突く展開に運ぶ呼吸が見事。


ほぼ全編が水中シーンとなるこの作品に、ひたすら素直な文章スタイルで取り組んでいて、描写に苦闘している感じがある。流れる動きの表現がよく「すーっと」などで済まされてしまっている。


三人称であることはときどきしか思い出せない。あくまで姫の皮膚感覚で話が進む。「>自分の前に槍が下ろされ」「>上れなくさせられ」「>がっと手首をつかまれ」「>心は、すぐに戻らされ」と「何かをされている」ことが多く、どうしても一人称としか読めない主観メインの描写なのに、ふいに三人称主語が現れて手がかりのない客観の地平に読み手を押し戻してしまう。「>もう少しで、水面だ。あと三掻き、いや二掻き。」などは読むテンポが生まれる読み手にありがたい演出。


策士の友人に「空を見たらいい」と勧められる場面では全く水を感じなかった。ソファーに座っているわけではない水中のおしゃべりがどんな様子なのか、イメージの手がかりをもらえないと、テーブルに茶器など置いてありそうな普通の宮廷もの風の絵ばかり浮かんでしまう。身体を揺らして笑ったら、髪がゆらゆらしたり、ひれがバタバタしたりしないだろうか。


包囲網突破の場面では情報が途切れ途切れにしかこちらに見えて来ず、まさに水中を手探りで進むような頼りなさで読んだ。「>時折方向を変え、どこに向かっているのか分からなくさせる。」という煙幕行動はどの程度有効なのか。通行人にまぎれているわけでもなさそうなのに。「>番人たちはまだ気付いていない」は言葉足らず。まだ「異変に」気づいていない、だろう。「>けれどここで泳いでいるのが自分だと気付かれれば、すぐ来てしまう。」あまりにも当たり前のことだし、「すぐ来てしまう」では全く緊迫しない。結局にせの水流で陽動させて引きつけたのだということは分かるが、彼女が目指すゴール地点の様子が何も分からなかった。水面まで五掻きという「線」の目測はいいが、番人たちの「面」のフォーメーションが見えないのだ。無限に広がる海水面を、どんな布陣で固めれば、「穴」ひとつしかないような守備ができるのだろう。「槍を交差させて阻止する」というのは全く陸上由来の、壁で囲まれた門があるときに使うべきイメージだと思う。


「>でもそんなことは関係ないとでもいうように、」という長い説明はとても邪魔。イルカのようなジャンプで水の上に躍り出たストップモーションをかき消してしまう。「>さらなる高み」というと高さをたどって視線を移動させるあいだ時間が連続する感じがあり、これも瞬間の表現には適さない。


星空を眺めていると、何か光るものが…となったので、童話のイメージもあってか船のライトかなと思ってしまった。「青い」という言葉が登場しても、船体の色かな?と。夜明けが始まるときの表現に「>しばらくすると、」以上のタメがほしいし、一緒に水面に出たはずの番人がほったらかしなので、夜が明けるほど長い時間が経っている気がしなかった。「>顔を水面の上に浮かべる。何だか安定がない。見回すと岩場を見つける。その上へとよじ登った。」のあいだに、番人は一旦報告に帰っていたのだろう。せっかく三人称なのだからそういうところを説明しておいては。「>こちらに向かおうとするのを、必死で周りがとめております」はちっとも敬語じゃない。番人との会話のあいだじゅう姫が「自分」と表現されている。


「>番人が慌てた。」慌てたことが分かるような、人魚らしい描写をするチャンスだった。随所でこの種のチャンスを逃している。戴冠式のシーンでは「泳いでいった」しか登場しない。気位の高そうな友人がしゃべるとき、あごをぐいと上げたりしてやはり水は揺れると思う。装身具がいっぱいあるのだからそれもシーンのあちこちで揺らしてほしい。尾にはさむアクセサリーは面白かった。


「>言わずと知れたその返事」は言うなら「言わずもがな」だと思う。「>われらが海の民」は「が」を抜かなきゃ。肩すかしのようにあっさり空を見ることができたり、黒幕であった友人の思惑と完全に操られたわけではない姫の気質がいっぺんに明かされたり、ストーリーテリングの間合いはとても好きだった。


D-08 灼けた空に手を伸ばす※注
ねっとりと始まる個室プレイ。いやいやすんません。ここがダークファンタジーの領域であるということは初め隠されている。「>そう、永遠。断ち切る方法は知っているけれど」と、「男」が人外の存在であることもほのめかされはするものの、「>自分がいつから“こう”なのか。」の段落などはまだ現代サイコミステリものとして読むこともできる。「>女の華奢な首筋に自分の牙を落としたい衝動」「>唇をつけた白い首からは、甘い香りがした。」など、「男」の食欲にはストレートな生き物らしさがある。「>人間を傷つけなければ生きていけない苦しみは、何ものにも変えがたいものだ。」とまで良心を持った存在かどうかは分からない。ちょっと罪悪感に陶酔しているように見える。三人称なのだからそのへんに関しては突き放した描写があってもよかった。


サイコキラーであれヴァンパイアであれ、孤独なモンスターはとどのつまり同胞・理解者を求める。それは同じ魔物としての彼女なのか、色彩あふれる人間の彼女なのか、罪をめぐる男の長い逡巡があり、女は解放される。


三人称主語の支配下でも「>こちらを見上げてきた。」「>指をこちらに伸ばしてきた。」など男のいる側を「こちら」と表現するのがたまに気になった。叙述がそこまでぴったりと「男」の主観にくっついてしまうなら、「一人称視点がほとんどを占める三人称」ではなくスッパリ一人称にしてしまってはどうだろう。


永遠の孤独がいかに辛いかを彼にねちっこく語らせたあと、女が戻ってくる。「>永遠の命を生きる苦しみは、何よりも自身が知っている。」などと彼女には恩を着せておいたこともあり、恐れていた消滅が実は救済であったかのように思わせた最後の瞬間に、魔物は光の世界から拒まれる。女のほうには救ってやろうというつもりがあったのか、単に復讐のため戻ったのか、内心をあれこれ語らせないのがうまい。


「>そうと考える事は男に安堵を与えはしたが、再びこの身体に宿った言いようも無い苦しみを救ってはくれなかった。痛みと苦しみ。それから、孤独と絶望。」ここはいっぺん語り口調をトーンダウンさせてみては。テンションが上がりっぱなしで飽和して来ているし、「>再びこの身体に宿った言いようも無い苦しみ」が観念的すぎる。身体のどこがどう痛いのか、即物的な描写がはさまると、このあとの「>死にたくないのは何故なのか。」が一気に高い場所へ吹き上がる気がする。


「>それは自身を決して受け入れてはくれない陽の光だ。」では「自身」という表現に違和感があった。周辺の「>男は狂おしいほどに何かを求め」「>男もそれを追って、空を仰いだ」などが三人称視点ベースに展開しているので、ここで「自身」と言うと「日の光」のことになりはしないか。「>日の光は自身を罰するが、」も「男」もしくは「彼」でよくはないかな。


青いはずの空があまりの光に白く灼けていた、と、色彩の喪失でシメる幕切れはキレイな収束。男の身体も色を失って黒く変わる。


D-09 ボクの赤い手

おおう~すごくよかった~。真理ちゃんがいい子でよかった、好きなコが異能オタクでよかったー^^。真理ちゃんがどういうつもりでいる子なのか、前半全く触れられないところがうますぎる。普段親しくしゃべったりするようなことにもされていないから、彼女が「高木くん」にどう出るのか、読み手は固唾を飲んで待つしかない。ここで運命の相手真理ちゃんの人物像がふくらませてしまってあると、「ああくっつくんだな」と読んでいて安心してしまうんだと思う。着実なモノローグが主人公の日常すべてに均等な厚みをもたせるので、彼ら運命のカップル以外の、その他大勢の人たちがペラペラの書き割りに見えないのだ。


「>冬でもなければそんなにこまらないから、ボクはずっと気にしてなかった」がとても痛い。彼にとってアトピーは「痒い」「痛い」などの症状以上のものではなかったのに、それを他人から乱暴に「見た目」としてだけ扱われた。きっとものすごい衝撃だ。「世界は自分が感じているだけのものじゃない!」ってことをどんどん知っていく時期ではあれ、こういう形でも他人の主観を知らされていくんだよなあ。読んでいて全く作り物の感覚がない彼の心情があるからこそ、その反射した鏡像として、残酷な言葉をぶつけたかなちゃんにまでちゃんと血肉が感じられる。このまま真理ちゃんだって彼の日常の一部に埋もれていくのか、思いは伝わらないまま終わるのか~という危機感があおられるが、それはそのまま「真理ちゃんにとって自分は特別だろうか」という主人公の気持ちなんだ。お話の主人公ふたりとして、晴れて手を取り合えるラストが幸福で輝く。


D-10 ハンガー・ストライキ
話の流れのまま、なんとなく海に出かける。食べたい気が起こらないという流れのまま、なんとなく食べない。これは広く世間に向けて政治的な主張をするための「ハンガー・ストライキ」とは違うのかもしれない。しかし「>右から来た人は左へ去り、左から来た人は右へ去って」、世界が目の前を素通りしていくさまをひとつもあまさずべったりと描写していく視線には、傍観しているというよりは「素通りさせてやっている」とでもいうような積極的な意思を感じた。彼女らはとても積極的に、世界への干渉の放棄というパフォーマンスに身を浸している。


断食というのは、抗議運動以外にアートパフォーマンスとしても行われることがあるそうだ。彼女らにとって、この芸術運動の意味を理解している観客はお互い以外にいないのかもしれない。「いなくてちっとも構わない」と頑なに拒めば拒むほど、強がってる自分がイコールどうしようもなく弱っちくて、つまり「>ホントうざい」になるのだろうか。「うざい」は「ちょっと分析休憩」という保留の言葉だ。後付けの照れ隠しのように「>自殺するかと思った?」「家に帰る」などと言うものの、スタスタと海に入った彼女の衝動が、危ういところでふたりのあいだの何かを救ったのだと思う。救われたという安堵を主人公が言葉にすることはないが、「>今までに見たことのない奇妙な光景」は、とても素通りしてはくれないものについての耐え難い話題を見事に水平線のかなたへ溶かしてくれたと分かる。話題をそらしたって現実が変わるわけじゃないのだが、真面目に悩んだって解決するものでもないのだ。「>田口的には」“悩みに正面から向き合って”とかそういうことなのだが、私たちがどっちを向こうが悩みのほうはお構いなしにそこにいるのだと思う。なんてこのギャルたちにえらく共感している私がいますよ。


終始一貫した語りのテンションが、主人公の想念と共にリアルタイムで流れる時間経過を忠実に読み手に伝える。「>今日も朝から何も食べていない。」では、日付が変わったのかと思わせて一瞬リズムが崩れた。というかこの一文以外の場所では流れをはばむものを全く感じなかったのだからすごい。


「>断食芸」の出てくる小説が彼女にとって何なのか、「忘れ去られて死んだ男」が気にかかるのか「そんな物語が小説になっていること」が重要なのか、挿話の露光をもう少し作品の色合いに沿わせてくれたらなおよかった。


だんだんあたりに人気がなくなって、彼女らが「素通り」させてやれるものは彼方を飛ぶ黒い鳥や一番星など自然の事物ばかりになってしまう。気づけば世界のほうこそ彼女らに無関心なのだ。ふいに感じる体温に泣きたくなる頃合。同級生をおんぶするなんてきっとかなりの重量だろうから、「よいしょー」と踏ん張ったときの物理的な血圧上昇なんかも関係しそう。「>彼女が言ったように、わたしもあのまま海にジャバジャバ進んで行けばよかっただろうか。」と、友人が一度は海の彼方に追いやってくれた耐え難さが揺り戻ってくる。拒食するくらいなら死ぬつもりなのか。いやそうじゃない。それでも。どうにもできない悩みは変わらずそこにある。何も変わって行かないのだ。逃げている限り。友人も主人公も分かりすぎるほど分かっていて、この小説がリアルタイムだけを切り取って終わるのは、この着々と流れていく時間だけが、世界で唯一確かなものだからだと思う。確実に彼女たちに干渉してくれる唯一の存在。それに気づけ、気づけばきっと、と両手を握り締めて見送るような気持ちにさせてくれる作品でした。


>「ブラ見えてるよ」
>「馬鹿。見せてんだよ」
>「怖っ」
は本当に可笑しくて笑っているのではなく、型どおりのやり取りで空気をいっぺんシメておく、一番長い時間を一緒に過ごすツレ同士の親しい呼吸を感じた。アメリカの不良がやる複雑なハンドサインみたいな感じ。「何でも話せる間柄」というのがあるが彼女らはそれではない。相手が泣くのをこらえてる以上、触らずにおいてやるのが礼儀だよね。でも友人は「あわわ泣いちゃったよ」とちょっと焦ったって部分もあると思う。主人公をなぐさめるというよりは自分の気をそらしたくて慌てて適当なメロディーをひねり出したのかなーなんて思うとかわいい。「あたしの歌」でもいいし、「あんたの寂しさが伝染って何だか歌いたくなっちゃった」でもいいし、とにかく「怖っ!」と笑い合えばいいのだ。


D-11 獣王の眼
主語を省略することの多い文体。ひとりが一気呵成に行動する場面のスピード感はすごいのだが、登場人物のやり取りになると視点が切り替わることへの気配りが足りず、読んでいてたびたび脳内イメージが断絶した。


冒頭は説明不足。制限がギリギリなのかな?字数制限ではないのだから「>無用心に快哉を叫ぶ少年」の一行などはもっと詳しくできる。読み手にとっては必死に走って登場したバルバラの印象がまだ強いので、彼女が「自由だ!」と叫びながら近づいていくみたいだった。


「>「“バルバラ”」 / 手短に訂正するや否や、少年は跳び上がって振り返り、尻餅をついた。」では、訂正したのは少年で彼がそのあと跳び上がったのかと思わせる。「~するや否や」が手近な主語「少年」にくっついてしまう。ここは「“バルバラ”」と少年の尻餅が同時に起こるシーンなのだがあまりそう見えない。一文の中に「訂正した」「跳び上がった」「振り返った」「尻餅ついた」と動作が詰め込まれすぎているように思う。


「>養父上、護衛は要りません。」の回想が始まるシーン。せめてセリフがひとつ終わったあとにまず「バルバラはどこそこで聞いた会話を思い出していた」など、回想シーンであることを知らせてほしい。「>研究の旅に護衛を付けられる事を厭い、養父であるレーベンハイム治癒聖術士に訴える場面を何度も目にした。」この長い説明の文末でやっと分かるのでは読みづらかった。そのあとまだ回想の養父がしゃべっているのか、話は現在に戻ってきたのか、「何度も言ってるだろう?グリグリ」と養父に名前を呼ばせるだけで読み手への手がかりになるはず。


「>騎士の鉄靴が発する高い足音に紛れて何やら呟く少年の頭を、今一度見下ろした。」すごく頭でっかち。「鉄靴が発する足音に紛れて何やらぶつぶつと言っている」だけで、バルバラが見下ろしていることは分かる。


「>其の途端に彼は飛び退いた。」のあと「>頭突きを食らった」ことと「籠手越しの掌の痺れ」は別々に提示したほうがいいと思う。「>途端」という割りに素早い動きに見えない。


「>治癒聖術士が攻撃するとは必死だな」が好き。物語の不思議感、何が謎で何が普通かを、ここでぎゅっとまとめて受け取れた。


熱砂の荒野を横断するならあまり日中の旅程は組まないんじゃなかろうか。


「>暗緑色の右目が床の文字から白い後頭部の藍の紋様へ移った。」これは視点としては「バルバラの顔の脇に置いたカメラがとらえた映像」になる。「>凝視してみると、」「>眼帯の奥の眼窩が疼く。」などでしばらく一人称主観が続いたあとなので読む目がつまづく。今なぜカメラ位置がそこなのかということには筋運びの必然があってほしい。バルバラはグリグリに注意を移した、ということを説明をするための文が「暗緑色の右目」を主語にした客観カメラ位置から始まる必然性はないと思う。「バルバラは暗緑色の右目を~移した。」なら目の色も同時に描写できる。


暗殺という真の狙いがあかされて剣を突きつけ、背後からの襲撃が始まるくだりはワクワク!ワクワク!どうして街じゃなくここで殺すんだろう。遺跡にたどりつけるのはグリグリだけとか裏設定があるかもしれない。とにかくかっこいい展開のあるべき姿をひたすらたどるとこうなるんだからしょうがない。バルバラが彼をかばうことにした理由が「>誰一人として殺したくない」という彼の気持ちをくんだからっつーのが泣かす。


「>昂りで裏返った若い獣の悲憤を、理性の大喝が抑え込んだ。」ようやく互いに持ち札のすべてをひらいてぶつかり合った見せ場のあとなので、セリフが登場したとおりの順序で説明するのは勢いを殺してしまうと思う。理性の大喝に抑え込まれ、若い獣はすでに昂りから脱している、という順序で描けば、ふたりが思いをぶつけ合った瞬間のスパークが余韻として響くのでは。


養父は教皇の護衛をどういう気持ちで受け入れているのだろう。グリグリの正体を承知して覆面をかぶせたのだから、彼がどういう危険に遭うわけでもないと分かっていそうなものだ。何度も調査に出かけ直さなきゃいけないのはなんでだろう。食糧の調達だろうか。


「>足掻くぞ」というひと言だけでシメとしてかっこいいのに、「>足掻いた者がいたからだ」でさらに受け、これまでの物語全体に大きく額縁をかける。ファンタジーで劇中物語のように差し挟まれる神話・挿話はその世界を縛る運命の書でありルールブックであるのだけど、読み手からは見えない場所でひそかに伝説がねじまがり続けていたことが明かされる快感の幕切れ。バルバラの左目がフランベルジュに映し出され、私の中でハリウッドダークファンタジー的エンディングテーマがダーダッ!と鳴りましたよ。フハーかっこいかった。


終わりの獣王に殺されるためだけにいた始まりの獣王は、生まれてからの長い年月のあいだにこの世でものすごい変転をとげたのだろう。なんたって世界の寿命が尽きるまでの時間だ。足掻いて足掻いて、その途上でバルバラに出会った。と思っていたのだが、神話部分を読み返すと、終わりの獣王も世界の始まりのときから存在したのだよね。グリグリってどういう生まれ?単に憑依されたのかな。まあ神話というのは事実ではないし。このへんの、世界観が二時間におさまりきってないところも何だかハリウッドファンタジー的だったりして。


小さいことだけども。バルバラという欧風人名を「バラバラ」という日本語に引っ掛ける以上、作中世界で話されているのは日本語であることになるがいいのだろうか。これが海外映画の吹き替えなら、こういうやりとりがあったらそれは原典の台本にはない日本語版だけの無茶ギャグと思っていいよね。フランス宮廷が舞台の英語戯曲なんかで「ムッシュー」とかだけフランス語発音ぽく言ったりする翻訳混線状態のあの感じ。「バルバラ」もいるし「由良之介」もいるし「カイウラニ」もいて日本語をしゃべる、みたいな多国籍ファンタジーかもしれないという逃げ道もあるが、「>聖エーヴィヒ教国赤竜騎士団副団長バルバラ=ラーエル・ゼーエン・ツヴァイスヴェーグ」という設定が語るところに従えばここはドイツ語感の香る言語が話されている世界で、「ひとまとまりのものが分散する状態」を指して誰も「ba-ra-ba-ra」とは言わないはずなのだ。グリグリはフランス語風だがこちらは日本語ダジャレを誘わないものとされているようで、基準がもひとつ分からない。グレーちゃんというくらいの意味だったと思うのだけど覆面少年は黒髪らしい。なんでだろう。


D-12 空の君※注
悶々とする女一人称。弟が血がつながらないとかふたりっきりの家族であるとか色々お膳立てはあるものの、恋はどんな状況でも本人次第で「禁断の恋」になり得るのだと思う。閉じられたモノローグは先が見えそうで見えない、まさにお話の筋を予見などできないひとりの人間の不安な心情として読ませる。禁断の恋なんてそう都合よく成就しないという方向に展開していくのだが、姉が弟に迫ったまさにそのとき恋敵がドアを開けて入ってくるという展開は、イルも姉さんを愛してた!という展開とタメ張る都合のよさに見えてしまい、もったいなかった。ここで繰り広げられるのはいわゆる修羅場である。自分から部屋にやってきたイルが「>なにかな、話って」と言うからには、夕食後「話があるから寝室に来て」というやり取りがあったのだろうと想像させる。そのあいだにイルは「姉さんがいよいよ話す気だ」とレナを呼びに走り、ドアの前に立たせていたわけだ。しかしそれは状況を整理するつもりで読み返せば分かるという話。つじつまを探して読み直した読者だけがわずかな言葉の切れ端を頼りに納得することになっているという仕上がりは、ストーリーテリングが成功していないということだと思う(普段の読書だったら、一回の通読で印象が固まらないなら私はそのままブラウザを閉じる)。「>どうすんの? このまま残る?」とレナが体裁も何もかなぐり捨てたところで、イルとレナの連携プレーをシーナに確認させてみてはどうだろう。そうすることで、イルは素直に姉を信じていたわけでなかったことを姉に指摘され、レナはどろどろした女の感情を理解できる、同じどろついた女であることが好きな相手の前で証明され、まんまと見透かされていたシーナだけではない誰もが、あの寝室で羞恥の嵐にさらされるのではないだろうか。穴があったら入りたいというやつだ。もう誰も「だまされた!」とか「信じてたのに!」とか自分だけ真っ白な気持ちでいたようなフリはできなくなる。羞恥の反動として「自分がこんなこそこそした行為をしなきゃならなかったのも、皆あいつのせいだ」というギラギラした感情が生まれるだろう。誰が誰を本当は好きかなんて牧歌的な問題はどこかへ追いやられる。イルを両方から引っ張り合う場面は、「親方のお嬢さん」「女手ひとつでよくやってるシーナ」という取りつくろった顔も忘れ、あさましい感情がむきだしの女ふたりをもっと浮き彫りにできる情景だと思う。「作業着姿に失神」なんてあたりのあけすけな欲望を、ここで爆発させてみたらすごい迫力が出るのでは。「>心が晴れるような三人」が、こんなとんでもないことに!イルが「怖いよ姉さん!ていうか女怖ぇよ!」と叫んで逃げる、壊れたラストが浮かんでしまう壊れた私でした。ふたりが去って汚い猫が入ってくるラストはすべてが空回った女の寂莫感。
 

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感想、ありがとうございました。
はじめまして、覆面作家企画3冬でお世話になりましたD7の藤原です。このたびは拙作をお読みいただきありがとうございました!
描写の足りなさを細かく指摘いただきありがとうございます。これで改筆すべき点が分かりました! 敬語や言葉遣いも私おかしいんですね、今度から気をつけます。読みにくいところがあってすみませんでした。

それでは短文でしたが、失礼します。
藤原 湾 2008/03/05(Wed)22:45:39 編集
Re:感想、ありがとうございました。
藤原さんはじめまして!推理ははずし、感想はぶしつけというトホホ探偵にコメントありがとうございます~。

自分の文章が伝わらないのはなぜだろうと考えたとき、私にはこの企画がとても勉強になりました。自分の意図は自分なんだから、表現を工夫するまでもなく分かっちゃってるんですよね。でもまっさらな状態でひとさまの作品を読み、「ん?」と思った箇所をじっと見ていると、意図と表現のあいだにあるズレが、なんかつかめる…ような気がするのです。その感覚が面白くてつい夢中になりました。「そらをみた人魚姫」は意表を突いた筋立てが魅力的で、やろうとされてる意図がなんとなく伝わるからこそ私のような重箱感想が可能だったのだと思います。この企画は同じ作品に対するたくさんの感想が読め、補強材料が充実しているところもいいんですよね。すっかり「覆面」という企画意図からはずれたところで楽しんでおりますが…。

ひとさまの作品を引き合いに出して自分が勉強するなんて、コスいことこの上ないやり方だったのですが、非公開のまま自分ひとりでブツブツ言うだけだったら、読んだときの印象をここまで一生懸命言葉にしようとは考えなかったのだと思います。そのせいでありえないくらい辛口な重箱弁当にしてしまいました。いち読者の受けた印象として、参考にしていただけたら幸いです。
【2008/03/06 07:37】
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