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  管理人・歩く猫 これっぱかしの宝物について。真田丸とネット小説など。ご感想・メッセージなどは拍手のメッセージ欄でも各記事コメントでもお気軽にどうぞ
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順当にAブロックから~。一日一~二本読みを基本にちまちまと進めます。推理は期間内には間に合わないかも。

例によって思うぞんぶんネタバレ・引用しています。感想はあくまで私の主観的なものであり、ふだん本を読むときと同じ、一回さあっと読んだ読者としての印象です。

「自分ならどう作るか」ということを考えたくなってしつこく書かせていただいている箇所もあります。長いときはえろう長いのですが、私の誤読であれば書き手さんが「それは違うぞ」と思えるよう具体的に書いてみたつもりです。

2/6
A-06 色替え部分に追記しました。
A-12 色替え部分に追記しました。

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A-01 ミズと小さな秘密基地
主人公がミミズ、というところだって内容によっては受け入れられると思うのだけど、ミミズのいる地面に落ちたタオルを赤子に~それはイヤ~。「女性」が登場したラストでは完全に主語を排する特徴的な文体。私は波長が合わなかったでした。 

A-02 タイトル未定
「タイトル未定」と続くラストはうまい!お題「空」は「主様」の頭の青空と失恋の青空と、何より「空想」ということなのだろうなー。ジェーン・オースティンなんかもドロドロの愚痴日記帳を持ってたりしてーとか、読んでるこちらも空想が広がる♪小説が生まれる場所についての話にスルリとつながる鋭い展開にしびれる。
それだけに、終盤ちかくまで続く過剰なライトテイストが残念。「奥様」への呪詛な語りかけと同じく、「主様」への突然の暴力も何かのモノローグ的言い換えの範疇かと思いきや、本当に「瀕死」はなかろうと。恋した相手のしょーもなさまでしっかり身に沁みて、「あんなの好きになっちゃったアタシのバカ」というあたりを苦々しく慨嘆するラストがとても真実味にあふれているので、アンバランスさを感じてしまう。「あーん」が「あぁん?」には笑った♪丁寧語の面白さが重要な作品だと思うので、重箱ですが。「>また主様が脱走致しましたか?」は「脱走され / なさいましたか」だと思う。「>余りに長く見つめておりましたので、」旦那様だから「見つめておられ」では。

A-03 公主と鸚鵡
語り口があくまで静か。波乱からは一歩退いた場所からの描写なのに肉迫した感じがあって、イメージがとても鮮明。大空へ舞い上がるかと思わせた鸚鵡がぽとんと庭園にとまり、ラストは一層の静けさを増して閉じる。ぷはあ、と息をつきたくなる読後感。「夢だった」という言葉で「それはどこから?」と冒頭の鸚鵡へ向けて巻き戻るのだけど、そうやって二度味わう部分までが、この作品の楽しみのひとつかも。どこも夢のようで同時に過酷な現実のようで、目が覚めたあとの彼女さえ夢の世界の住人のようで、なんにせよ好きー♪絵と書物の「避暑の旅」の描写あたりから「うん、すごいぞ」と思った。次に来る冬の旅の過酷さを際立たせる要素としてあまりしつこくせず、トントントンと並べることに成功しつつ、「絵のような旅」の具体例がちゃんと多彩。などと技巧部分を取りあげてみたところでこの圧倒的な深みの正体は捕まえきらず、ひたすらうっとりとため息でした。

A-04 アタタカイアメ~普通に雨が降ること,実は当たり前のことではないのです~
雨と飴、という着想と、それを包む詩情な世界。そこからはみ出しているような意外な何かがあるとお話にアクセントがついたかも。「>天気予報士の人ともまともに話せる状況じゃなかったしね」などのセリフは説明的で、詩情強化世界としては怠慢。「こんな昨日」や「そんな出来事」、「出来事の事」など、ラストの一行に書き手の思い入れが足りない気がする。シメなのにそんな処理って。

A-05 心残り
心残りを思い出せない主人公が「>メンドクセーパターン」になった理由づけとして、「事故のショックで記憶の一部が飛んだから」という肉体ありきな言い方はちょっと物足りない。「>手帳の魂的なもの」を掴むことができる案内人というひねりのある設定とは少し馴染まない気がした。TSUNAMIのその部分はあまり印象に残らない歌詞で、調べてようやく「そういえばあったな」と思った。セリフのひとつに過ぎないと思っていたものがぱっとメロディーに乗る快感が味わえず、心残り。「あれでもない、これでもない」と探して、その「ない」ことが探していた答えだったという展開は好み。

A-06 鳥籠の唄※注
地べたから離れた天上世界の描写を目指しているにしてはセリフまわしや盛り上げ表現が平板で、ところどころ日本語が雑な印象。三人称の地の文に主観の一文を織り交ぜる手法は独自のリズムを出すこともできるけど、失敗するとただの視点の錯綜になる。「>喪失を訴える背中が痛んだが、リーファの前で微笑むアズエルはいつもと同じで綺麗だった。」読点をはさんで主語を見失っている。「目の前で微笑むアズエルはいつもと同じで綺麗だとリーファは思った」にしないと「綺麗」は地の文の客観的な形容のように読めてしまうが、書き手はそういうつもりで書いたのかも?自分の主観として?そんな三人称は困る。「>この場にひどくそぐわない笑みだったが、それゆえに恐ろしいほど綺麗だった。」こちらの「綺麗」は完全に地の文での形容。「ひどくそぐわない」「それゆえに綺麗」と判断しているのはアズエルではないのか。容貌に言及するとき視点の取り方を失敗する傾向がある。そもそも三人称の小説は、その場に居合わせたわけではない傍観者の視点が出来事を見てきたように語るというありえない前提を含む。叙述のルールを意識的に打ち出し続けてくれないと、すぐに何が何だか分からなくなってしまう。(2/6追記:「綺麗だった」という言葉づかいが私の耳に馴染まないだけかも。「この場にそぐわない笑みだったがそれゆえに美しく」とかなら、三人称小説の曖昧領域内にある書き手の視点として受け入れたかもしれない。)
「>彼に対して向けられるリーファの想い程度(のもの)に消しつくされるものではない。」カッコ内が足りない。後で出てくるほうの「もの」は削れる。「>どこまでも無垢な」「>恐ろしいほどに冷えた」「>恐ろしいまでに純粋な」などイメージを伴わない盛り上げ表現はいっそないほうがいい。

束縛の意味づけに統一感がない。アズエルの関心はリーファに向かっていないというが、それなら「>裏切り者には罰を」あたりの執着はおかしくないか。「やっぱり他の名前を呼ぶんだね、そう。実験終わり」でポイとなりそうだ。わざわざ羽根を引きちぎったりする相手に関心がないわけがない。殺さずに傷つけて反応を眺めたいという安い動機を登場させたくなかったのか。にしても「>どう? 裏切りの結果は」というセリフはすでに安すぎる。監禁される天使というショッキングな前フリを使うなら、「天使を堕落させることがアズエルの始めからの狙いだった」だの、理性的な着地点がほしい。天使は閉じ込めておくと無垢をこじらせるので、忠実・狂信な奴隷に調教がしやすい、というようなギミックが終盤でどーんと立ち現れたらきっとゾクゾクできた。
アズエルとリーファは大して「同じ」ではない。愛されているかどうかを問題にしないリーファと同じであるなら、アズエルは神に個人(←?)的に愛されないのを悲観して破壊行動に走ることもないはず。よくある堕天ものでは「束縛の愛を知っている堕天使のほうが実は感情にあふれ、人間(←?)的だった」という解釈で読み手(←人間だし)を共感させようとする。この作品では読み手として共感を拒否された。無垢と狂気ですべてを説明するのは乱暴ではなかったか。人質状態において犯人を理解しようとするあまり犯人に同化してしまうという心理はストックホルムシンドローム的で、それは極限状況に追い込まれた人間が必死に逃げ道を探る生き物としての本能であって、無垢な天使の専売特許でも、究極の愛の目覚めでもない。

A-07 あいつが残していったもの
助走が長い。セリフのあとに「>軽い調子で笑いながら」「>不思議に思ったのだろうか」「>彼の質問の意図するところを掴めずに」など、セリフの口調ですでに表現されているはずの説明がついて読む目がもたついた。授業をさぼった、弁当を食べないなど、謎をかけるようなやりとりが済んでみれば、隠されていたのは級友の自殺という大事件。「どうしたんだ」「どうしたんだ」とことさらに言いたてて落ち込みぶりをたどらなくても、死はここしばらく誰の心の中にも重くのしかかっていたはず。改めて言葉にしなくては分からないこのふたりは本当に友だちだろうか。「あれ以来」心を閉ざした主人公の口から、「あいつ」のことを気に病んでいると、「彼」が躍起になって認めさせようとしている、という状況ならこの書法も理解できるが。

A-08 二番目の男

「結婚式を挙げたやつ」が「一号」で、大学三年生になって一緒になったのかと思って読んでた。予期せぬ邂逅をえらくサラリと書いてあるけど、そういう作風かなあと。自分の誤読が邪魔して、気持ちよくオチにやられることができなかった。

A-09 ネイヴァー・ドール 
「>ぼくら兄妹についてまわる付加価値」付加価値ではなくレッテルというような意味だろうか?蓮の宗教が外国のものであるここで、看護士はスリッパ履きだろうか?旧式の暖房の入った冬の部屋のイメージ喚起力は鮮やか。短かく刻んで描写する文体はとつとつと何かの状態を伝えてくるが、最後から三段め、一気に長文につなげた段落で、理解らしきものはあっという間に指のあいだをすり抜けた。

A-10 空を見あげて
自分の人生を惜しむ言葉を言いそうになって、「口に出したら負けだ」と抵抗する心理があるというのはなるほどと思った。案内人が「>なにも絶望する必要はありません。」とうけあえる理由について、「>たまにでいいから、空を見あげて欲しい。」と主人公が願うようになったきっかけについて、小説として何も語ってくれていない。寂しい。

A-11 リワインドの神は虚しき骸にして愚かなる人間。※注意※
時間を支配して悦に入っている“神”意識が、「間違っていないか不安」「疲れている」という切り口によってガラッと見え方が変わる手だれな展開。包丁の痛さを我慢すれば、「そして夜中」がだんだん面白くなってくる。そういえばリワインドの力は彼女の命を救ったわけだ。誰か天上界の人が現れて、リワインドについてつじつまの合う因縁話を開陳しなくても、「オレ」語りの力だけで、奇妙な力とそれにまつわる物語をきちんと読み手に受け入れさせた。「>ようやくオレは彼女を見れた気がした。」大事なところでら抜きはもったいない。

A-12 そらうみそら
見たこともない異世界に思いを馳せる、見たこともない異世界の住人、という描写はSFではそのまま「そういう宇宙生物」と思って読めばいいのだけど、「うみ」とあるタイトルや「>冷たい流れ」など文中に少しずつヒントがちらつき、海の生き物を言いなしているんだぞと読み手に挑戦を仕掛けてくる描写が続く。「>知り合いには欠けた姿を誇るひともいる」、「>薄明るい身体に渦を巻く模様」などが何を指すのか、頭を使って読むのがだんだん疲れて来たあたりで海中に異変、描写がこちら世界の普通名詞に変わり、ひと息。「>急に水が沈んだ。」の意味はつかめず。
海のお話と陸のお話が裏表でつながる構成は面白い。むやみにプンプンしている巫女とぽやんとしてるが能力は一級(ぽい)かみさまのコンビは好きなキャラ立てだけど、「>貝になりたい」「>奥宮は堅苦しい」と性格設定はそれぞれにあるものの、もう一歩「おっ♪いいぞ」というものがふたりのあいだに起こらなかった。せっかくの貢ぎ物を投げてしまうくだりは、「>規則」や「>面倒な場所に」など普段からかみさまの気ままぶりにピリピリしている巫女さんの逆鱗に触れるはずで巫女さんはもっと怒っていいのに、『>「あれ? 欲しかったの?」 まさか! と思わず返してしまうと、それならいいよと笑顔。』と、プレゼントをもらったらきっと嬉し恥ずかしい、という話題にスライドしてしまってる。「>こうしておけば、いつかふさわしい人が見つけるからね。」とかみさまなりの真珠投げ捨て理由があったあと、もうワンクッション巫女さんのコメントなりはさんでほしかった。(2/6追記:ここは「彼のこういうとこが好きなんだ」と彼女が思うタイミングだと思う。)同じカギカッコ内で別の話題に移ってしまうのはちょっと早い。「>海のものは海に」「>真珠雲」など、クライマックスで巫女さんを海に導くキーワードは、「ああ、あったな」というだけでなく、その会話のときの楽しい気持ちなんかも一緒に思い出したいから。『>「一緒に見なきゃ」 かみさまはぱあっと、何が嬉しいのかと思うくらいに顔を輝かせた。「そうか、そうだね!』何が嬉しいのかが具体的にあれば、巫女さんと一緒にかみさまを「かわいーヤツ♪」と思えたし、ふたりの死ももっと胸に迫ったと思う。

A-13 我が家の吾が輩
ふろ~らるな香り♪すごく可愛い~!冒頭、サキチくんの形状が少しずつ説明されるんだけど、毛色、人(猫)相は分かれどサイズの見当がつかず。「でかい」とあるのでうんとでかく、人が入れる着ぐるみサイズのコタツ猫を想像しました。「>テーブルの上に座るそいつは」を見落とすとそのまま楽しいやり取りが始まってしまう。一度焼きついたイメージはなかなか頑固で、玄関で「足下」に座っていたとあっても、「肩に飛び乗っ」たり、「頭を蹴ってテーブルを飛び越え着地」したりとあっても、「化け猫だからへんげするのか?」など意識のスミでモヤモヤしつつ、結局自転車のカゴに入るまで「普通の猫サイズだ」との確信が得られないままだったのがちょっと残念。
火葬場のシーンからはモヤモヤもなく、しっとり楽しみました。お電話する普通サイズの猫…くー可愛い。サキチの長い化け猫キャリアもサラリとはさみつつ、我が家に帰るふたりをほっこりと見送るラスト。これからゆっくりお風呂。そのあときっと美味しいごはん。いいなー。誰かの死に立ち会って、静かに日常に戻って行ける幸せ感がいっぱい。明日もその先もずっと一緒、という約束は、人間同士だと叶うかどうかわからない不安定な(だからこそ貴重でもあり)ものだけど、化け猫のサキチが言うならこれ以上心強いことはない♪ほっこり。
「猫またぎ」は特定の魚の異名ではなく、「猫も食べない」という状態を表す慣用句だと思うのだけどどうでしょう。ざっとググッただけでも「ホッケは猫またぎ」「かつて猫またぎと言われ捨てられていたトロ」など色々。うちの親戚(愛知)は「猫も食べるところがないと判断してまたいで行く」という意味で、焼き魚をキレイに食べつくした人の皿を指して言ってました。
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