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  管理人・歩く猫 これっぱかしの宝物について。真田丸とネット小説など。ご感想・メッセージは記事付属コメントかページ最下段のフォームどちらでもどうぞ
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個人的な不満を述べている箇所があります。書きたいのは何を観てきたか、それが私にとって何なのかについてです。


ネタバレには触れますがあらすじには触れません。観てない方へのご案内には不向き。


演劇以外にも歌や器楽や舞踊、人が生身でやる芸術で、これは人間技だろうかと疑いたくなることがある。もうひとつ感動の種類としては、「苦労して限界を超えた人間」の人間技に驚嘆する、というのがある。ピースピットでは、身体能力と俳優的魅力を驚異の人間技として堪能しているうちに「これ違う、人間の企みじゃない」と思わされる揺るぎない数分間が、今まで何度かあった。近いとこではボルテックス学園のクライマックスや、MOTHERの妊娠期間一挙読み上げ。BOOKでは五巻まで待ってもなかったが、いつそれが起きるかは人の評判を聞いても分からないので(私の脳内で起きることなので)、次も観に行く。


一巻からずっと、物語をひとの人生になぞらえる言い回しが使われた。「なぞらえてるなあ」以上のものを感じることが少なかったのは、私の感受性がヘボいのは置いといて、BOOK世界に流れる時間が特殊であることと関係があると思う。


まず譲れない便宜として「今」「現在」がある。それ以前に起こった事件の扱いは「書かれた過去」、それ以後のものは「書かれた未来」なので、結局どちらも書き換え可能だ。でも登場人物たちは「もう時間がない」とか「今は何ページ」とか、取り返しのつかない時間の流れがあるかのように振る舞う。そのあたりの時間把握が共感しづらかった。巻をまたいで干渉はできないという条件で「間に合わない」感を察することはできたけど、ハテナを抱えたままお芝居が進む。


楽しいのはそのハテナを大きく囲い込んでふざけるシーン。一巻宿屋の「なんやかんやあるわ」や四巻のRPGバトルなど、欄外ならではの自由さでとことん遊ぶ。大切な物語進行を雑に扱っちゃう反則技で大いに笑い、でもその同じ装置内で、ないがしろにされた物語の悲しみを思えと言われても、気持ちが切り替えられない。客席で私が観劇上の矛盾に立ちはだかられているときに、登場人物が思うにまかせない人生や素直になれない感情などを矛盾と呼んで済ますのは、少し簡単すぎるように思えた。


覚醒者や本編キャラや作家の意志など色々な装置があった。それらの装置が分厚くなればなるほど、行間の人生も私たちのと同じくかけがえがないのだという前提が切実でなくなっていった気がする。つくりごと上の装置を越えて、私の方に橋を架けてくれるものがなかった。「誰の一生も大切な物語だ」。「物語を受け入れて生きてみる」。「なるほどそうだ」と思わせる言葉の断片は飛び交うものの、言葉はステージ正面を越境して客席を覆って私の隣の席にも座ってしまうような効果と結びつくことがなかった。あくまで私にとってという話。


だから四巻でサフィラが「読んでる人は私のこと、覚えていてくれるかな」と言ったとき、言葉はまっすぐ届いた。BOOKが書き換えられることとは関係なく、物語をよそごととして読むすべての人になぞらえられているから。忘れるわけないよ!取り返しのつかないあなたの最後を一緒に生きたよ!つくりごとの中で人が死ぬためにはまず疑いなく生きている必要がある。生き生きと描かれた人だから死も生き生きと描かれるんであって、そうするかどうかは書き手次第だ。作中作BOOKの書き手はどんな人かと思ってみると、物語意志の源ベン・ハートは少年ともうひとりに分裂してしまうので像がぼやけた。


凝った設定が着火剤として用意されている。役者の熱演でやり取りがスパークする。火が着く。でもそれ以上燃料がなくて、大きな火炎になれないという感じ。私にとってはところどころで言葉足らずだった。あんなに言葉数の多いお芝居なのに。


「ここは宇宙です」と書いたとして、それじゃまだ読者の前に宇宙は現れない。無重力描写なり広大無辺演出なりを上手にやってくれない限り、いつまでも宇宙ごっこを見せられることになる。五巻では「無限図書館」と言っちゃったわけだけど、その無限さを誰も裏付けてない。そりゃ無限を確かめられる人なんていないけど、「そう判断する根拠」を提示する方法はきっとある。それが何か私は知らないが。


図書館の足場を確かめられずにいるうちにも、「ここには世界中の物語が云々」、「ベン・ハートは何を意図して云々」と謎が構築され、雰囲気が謎っぽいだけでお話が進んでしまった。既視感のある物語を素材として縦横無尽に遊ぶはずが、物語の既視感に頼った「それっぽさ」が作品を支え始める。以降はドラマ上重要な何を聞いても「それっぽ」に邪魔をされ、最終巻500ページ、ベン・ハートの執筆中断、母親の思い出、どれも展開を揺るがす暴露のようには感じられなかった。たったひとつの正解を補強しようとしている感じ。バックトゥザフューチャーで過去をいじっていくうちに何をどう救おうとしたのかよく分からなくなっていく感じ。


「人物設定でそうなってるんだ」と言っちゃう反則の遊びも随所にあり楽しませるが、あるシーンで私にとっては消化不良となった。五巻、図書館の少年ストーリーは物語を救うことができるが外の世界へ出たくない。そういう設定だから、自分の周辺まで侵され始めてもしり込みしている。しかし結局は物語を救いに出かける。「もう、分かったよ!行くよ!」と言って。変心の理由・きっかけ何もなし。これまで機能してきたルールが覆されたというのに、「外の世界が怖いという設定」までもが壊れ始め、自由の鐘が鳴ったのかもしれないのに、それは大した事件じゃないなんて。えええーと思った。その先に用意されている楽しげな大解決コースも、「楽しげな」感じにしか見えなかった。舞台が終わるために走り出していることが分かっても、「終わらないで!」と思えなかった。


どう見たって体力的に過酷な五巻でひどいこと言う。でも私にとってそれくらい遠い場所に客席はあって、その距離が消滅するほどの滅多にない奇跡が、今日この舞台で起きるかもと思うから観に行くんだと思う。


五巻オープニングは自分の中の黄色い声を抑えるのが大変。ドウーンと照明が灯るとステージにはキャストが総員ぎっしりいて、無言の直立でまた暗闇へ消える。雑兵じゃなくメインキャラを使った兵馬俑。BOOKフィギュアシリーズがあるとしたら、シークレットはパンイチの矛盾男で。「またアラジン出たー」とか言いながら。ゴートン王のヒゲは着脱可能で。(←初日ヒゲ落ちた)


何度も聞いたブックとペンの世界観ルールのおさらいとして、五巻、新人研修風の人間タイプライターは楽しい趣向。言葉数にうんざりしているという意識の具現化に震え笑う。PP作品を褒めたいときに思うのが、頭のチャンネルが二つ以上開いてる感じ。一本のストーリーを追いかけて夢中になっている観客の思考を、裏から横からナナメ右上から、「オイー」と小突いて来るわけ。


三巻・四巻のすごさは、「面白くなるまでちょっとかかるよ」という長編ものとは違った。上演時間一時間数十分をかけて、登場人物たちは手で触ることができて蹴とばせば痛いリアルな地平に立っている、と信じさせられたが、そのあいだずっと笑ってた記憶しかない。


ダジャレですかで終わる四巻。活字に支配されていたって、登場人物はどこまでも生き生きできる。そういう夢が詰まってる。


ゲラゲラ笑っている間にクライマックスに連れて来られていた三巻。反転鏡像だったトキノが、最後は本体にぴったり重なってしまう。女優的見せ場にトリ肌。自分の中の善意と悪意、どっちを優先させればいいか分からずに引き裂かれるココは、最重要とされる物語とそれに押しのけられる物語、どっちも両立させたくてもがいている。私があなたの神になると言って消えるワルツ神父の書き込みが、私にとって忘れがたいエンドマーク。すべての物語にハッピーエンドを。無茶言う自分に泣きながら、力いっぱいそう叫ぶ人を観た、2011 3月なんば精華小劇場。閉館が決まってしまったそうで、劇場まるごとに喝采。終わるものは、また始まらせることができるかもしれないから。

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