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楽しいことをぜんぶやる、という心意気を感じた。なんちゃって歌舞伎の和装世界なので、キャスト全員いわゆる「お草履」で走る飛ぶ踊る。ぬるぬる相撲が始まって舞台中に油はぶちまけられるし、「どうか誰もこけないで」という不安と祈りが、別の次元の緊張感となってギリギリと舞台を押し上げている感じ。ガラスのエースを見守る緊迫。おケツ全出しシーンも「とうとうか!」という感じで桶の動線に緊迫。バニーガール・水着と来て、とうとうか!そうかそうか!コブシ握りっぱなし。ふんどしわっしょい。
立ち回りだって日本刀なわけで、やっぱりチャンバラはカタナだなと思わせる。面白いフォーメーションのバリエーションが多いんだ。間違えて刺しちゃうところとか、気がきいてるわー。素敵やわー。
刀を持たない主人公であることは、あまりピンと来なかった。刀を使う側、悪がしっかり立っているところがよかった。悪の人たちがどれもイイ。乱麻イイ。非道だから色気があるのか、色っぽいから何をやっても許せちゃうのか、「単にお前が気にくわねえんだよ」というジャイアン動機がいっそ耳に心地よい。山浦さんが言うからね。なおさらね。破壊王瓶太の破壊力。お銀さんのイイ女っぷりが大変!母ちゃんお金返して(笑)。白波五人衆そろい踏みにしびれる。善玉ヤクザの狂次父さんもワルかっこイイ。意地を通す天之介に「お前、いい顔するようになったな」と譲る流れがあったけど、実際のとこ全然勝ってたと思う顔圧。
夜鷹おつうのスローな京ことばが好き。「なんちゃって」の皮をとても有機的にかぶっていたと思う。足袋を履かない素足をもじもじさせるのが色っぽかった。女房が毒を盛ったのでは?とか思いつく人間不信がぞわっとさせる。
MOTHER、ボルテックス学園で奇跡、BOOKでは魔法を見た(あくまで私の心覚え)。「極楽百景亡者戯」で何を見たかというと、神通力、なんちて。
思いこみで偽薬効果を生み出した悟空の極楽だるまが神通力のダークサイドなら、極楽はあるったらある!と言い切った半泣きの祈りもまた神通力。神通力が通じた先は、暇を持て余したお釈迦さまの遊びだったんだけども。ワタシだ。また騙されたな。
主役天之介の歌舞伎セリフにチラホラ混じる「借り着」っぽさが気になりつつ、お芝居が進むとそこへ「ちきしょー」みたいな念が籠もり始める。お話としては、収束ではなく、爽やかに地平を広げて終わるラスト。盲信だるまの神通力とよく似た熱気が、拡散していくものをギュッと捕まえててくれた気がした。台本にはきっと書いてない、舞台でだけ放たれるまばゆい閃光を、みんな見たよね、夢じゃないよね、という一体感のフィナーレ。ここで「役者と」一体感じゃないところがすごくすごく「歌舞伎」だったなあ、と思う。どんなにお客をいじっても、どんなに演技スペースが客席へ越境してきても、いやだからこそ、お芝居と現実の境界線がホンすぐそこにあるのを肌で感じることになる。幔幕をぺろんとめくって主役が現れる幕開けから、私たちは戯れ芝居に魅せられた「ご見物」。三途の川の河童ども。そういう役を割り振られたわけで、見るのが仕事の私たち、劇場に悪いから早く終わんなきゃとか、ゆえに関係ないのですよ。思う存分喝采させてもらった。夢のようやったなー、なでしこ表彰式みたいに、キンキラやったなー♪