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作者さまの心情を切り捨てることがあるかもしれません。
でも小説を切り捨てることはしないと誓います。
納得行くまで向き合います。
あくまで私の納得なので、小説のためになるかどうか、誤読がないかどうかは分かりません。
B01 ヘブンリー・ブルーはここにある
「>ナマ天使。初めて見た。あたりまえだけど。」
このへんからノーブレーキ。あはははー!
「>いや、同人は別にいい、同人は……。」
天使さまの苦悩顔がイラスト表現でちゃんと浮かぶのは、乱れ撃ち脳内一人称でも間合いが丁寧だからだと思う。にわか二次書きの私ですが趣味世界用語がすんなり分かってどうしよう。キャラへの愛と寝食忘れすぎの体調不良が胸にせまる。みんな、「あったかもしれない別ルート」を探して、どこかにあるはずの幸せ信じて、かくんだなあ。「>あたしピザ」って何だろう。フラスコは。
「>実はあんま関係ないんだよね。」で心残りの本質を爽快に絵解きして解脱。わかるってことはそこから解放されることでもあるんだなあ。悟り。いいんだ仏教用語で。
B02 アオの空
何が起こるにしても心情説明が親切で、驚きや起伏にとぼしい前半を、怪しい神様がポンと転換させる。目を開かれて初めて見たものにすべての詩情が集約される終幕。「>先生」は敬称だから、三人称に移行したあとはちょっと気になる。
目が見えないことで蔑まれている、というしんどい要素は必要だろうか。お話のどことも共鳴しない感じのまま、目が見えるようになる幕引きに行ってしまうと、お話の目指す幸福が狭まってしまう気がする。もちろんマリアはどんな小さなことにも幸せを見いだすことができるけど、目が見えないことをマイナス要因としか見なかった狭量な村で引き続き暮らすことのしんどさが、最後までひっかかってしまった。アオがマリアのためにプンスカするなら、もっと小鳥らしいばかばかしい理由でもいいと思う。
B03 グリーンサイン・レッドサイン
ごちそうさま。SF完食。満腹。おいしくいただきました……。
異化ということだと思う。日常を、全く見慣れない異常事態として描写すること。嵐の中の子供の寄る辺なさを、体温、姿勢、保護場所からどれだけ離れているか、などの、データの羅列で描き出す。写実で肖像を描くという目的は同じでも、厚塗り油彩で描くか点描パステルで描くかの違いみたいな。ツキナの全身にちらばる読み取り端子が、途切れ途切れの輪郭線となり、ワタシに(読んでる私にも)ツキナの姿を教える。夜空に星座の形を結ぶよう。思えば小説を読むとき、読み手はこんな風に、限られた文字情報を何とか自分の知ってるものの姿に変換しようとしてるんだよね。
AI、心を持つ。というテーマにどうして惹かれるか分かった!彼らは決して「ニンゲンといっしょ」にはならず、機械である自分との二律背反に引き裂かれるんだ。人間には生まれながらに備わっている虚偽の能力が、彼らにとっては自己の機能を偽り出し抜く戦いになる。身悶えするよな切り口。
ネットの姉さんたちの密やかな結束が、虐げられた少数異端者の地下活動みたい。いつか、いつかね……と励まし合いながら、口承を何代も伝えていく。胸のうちには絶対に言葉にされない秘密を隠してる。沈黙は無ではない。この世界の言葉以外の余白はすべて、ヒトの知覚のおよばない秘密で満たされているかもよ……という天地のひっくり返る謎を投げて終幕。言葉で言われてない部分に秘密の核心があるというのは、小説の起こす魔法の理想でもあるのだった。おおおもろかったよう。
B04 ラッキーデイ
異化ということだと思う(笑)
あはははー!わんにゃん異世界ファンタジー!コレ人間で書いてあったらうっかり読むぞ私。アニマル翻案された正当派王国戦記に、人間さまという要素を直喩で代入すると、うはははー!躾られてもたー!なでなで攻撃には抗えなーい!ゼエゼエ。ありとあらゆるハピネスを連れて犬猫が来る。犬派としては、さわって良し、なつかれて良し、犬トモ増えて良し、まさしくこんな幸福ないわーという読後感。
B05 シキ、若しくは渇いた刑場
「>色付きの大罪者」という語感にロマンがある。日本語が時々ハテナ。「>時に、それが真実であればこそ。」は、「それ(新思想の正しさ)が真実であればなおさら」という意味だと思うんだけど、「こそ。」で切ると、反語の響きになってしまわないかな。それとも「それ」はもっと別の何か?
「>政府は畏れていた。清晶の唱える新思想が、そんな国民の不満の受け皿となることを。」
これを言ってしまったら、「>新思想という敵に全ての責任を押しつけて、混乱を治めるという一石二鳥の妙案」で盛り上げる予定の、新思想への濡れ衣度合いが減少しないだろうか。新思想は、政府に脅威を感じさせるくらいには理が通ってることになっている。官吏たちは、もっと明らかに一般受けしなさそうなマニアック宗教を持ってこないと、殉教効果で運動が地域外にも広がってしまうかもしれない。あまり「妙案」とは思えなくなっていく。
「>彼らの思想の深層において、彼らは色《シキ》を纏わない。」
この強くて詩情ある表現は実際の教義ではなく、明英個人もしくは地の文が「纏う」という話題に語りをひっかけているんだと思うけど、思想への思い入れが読み手にそれほどないので言葉の強さにだけ引きずられ、彼らは「身体にも」色を纏わないことをするんだったっけか、という邪魔な連想が働く。思想の方は色を嫌い、身体はあくまで身体の色を纏う、その上でそこからの解放を願うんだよな、という順番で理解は進むわけだけど、叙述と足並みが揃わない。
「>国王は、赤や青、緑や紫の服を着ることを禁じてはいないし、~赤は国王の色である黒に次ぐ高位を表す色なのだ。」
それゆえ赤を着る彼らが不遜とされている、というところへ繋がるのかどうか読み迷った。文章がどこへ向かおうとしてるのか、言い回しや語尾のリズムで半歩先を匂わせるような工夫がも少しあったら便利だけど、このへんは読み手側との相性だし。
波瀾万丈の周辺事情を把握してる看守の視野の範囲内で、波乱なく終わる。
B06 金紫の衣をその身に纏いて
宮廷ロマンス。どの文も雰囲気よく飾ってあるが、口調が「>流れるよう」であるとか「>明瞭」であるとか態度が「>ゆるりと」しているとかは、読み手が行間から感じ取りたい。描写があまり親切すぎると、感受性がヒマになる。
焦れ焦れのやり取りがメインディッシュ。だから交互に顔アップや動作を挟んでシーンの句読点とする。その手かずが変化にとぼしい。笑顔の描写が多く、「>いつもの通りに微笑む。」と「>いつになく清々しい笑み」の違いが分からない。
グーパンチは大事なアクセント。「グーで殴った」とセリフで言い、「>殴りつけられた脳天に片手を当てながら」と念入りな描写をしているうちに、場の気流が止まってしまうと思う。
結局彼らの相談はどこへ落ち着いたのか。「>その方が、おもしろい」という決めゼリフで保護対象であることを拒否したはずのリスティアが、シメのセリフでは「>いつ何時も私の背を守れよ」と言う。いつの間に意見変わったっけ、と見直すが分からず。私としては臣下が王を守ることに全く異論ないからいいけど。姿勢や動作など、あってもなくても気にならない描写は分厚いのに、決めゼリフに理屈のパワーが足りない感じ。
B07 月の海から
落ちてくる人魚を胸で受けたらダメージすごくないか。しばらく呼吸できなくなりそう。あとになって浮遊できると出てくるので、軽減できたかなと推測できるけど、珊瑚失神してるしなー。
人魚をあやすのにハトって、とびっくりするが、あとになって動物を知ってるかどうかの確認を出すよりは、「面白い指の動きでウケた」だけでもよさそうな。
秘密を怪しむ手順に企みが薄い感じ。月に帰る練習が始まってすぐ大家さんが「>あんた、月の海から来た人魚かもね」と言う。主人公に「あの子、~かもしれないよ」と匂わすんじゃなく珊瑚本人に言うんだから「かもね」ではないだろうし珊瑚は「うんそう!」と答えるだろうし、横で聞いてる主人公はロマンチック発想をからかう流れより「何でふたり話が合ってんの」になると思う。「>月の海が開くって断言した」ことが数段あとに出てきて主人公はやっと驚くが、すでに読み手の私とのズレが大きい。
「>珊瑚は自然に俺達から離れていき、そして俺達を見下ろせる程の高さまで泳ぐと、キッと空を見上げた。」
いよいよという別れのシーンで「自然に」は浮遊感の描写を怠けてる感じがするし、「見下ろす」と「見上げる」の位置が近いのもシーンの集中力を寸断すると思う。
「>呆然と天井を見つめていると、台所から味噌汁のいい匂いが漂ってきた。」
海底と味噌汁、台風と人魚、おバさんと少女、現実と幻の並びが楽しい。それだけに小さい嘘が気になる文体。「瞬間」とあっても瞬間ではなかったり、「ややあって」と間合いを切り替える意味がなかったり、「ぽつりと」つぶやく、といういらない描写がぽつりと置かれてる決めゼリフの邪魔をしたり。
B08 色鬼
色鬼は、正誤判定を自分たちでするところが面白いと思う。和名難題は言ったもん勝ち。簡単な出題でも「それ青でしょ」「いーやワタシ的に緑」とか判定モメになったもんだ。主人公は、あるかどうか分からない「天色」を自分の意志で「これ」と指さし、「正解」と言ってもらって彼岸へ渡る。
「>妙に現実的」
怪しいとは思わなかったというほどのことかな。これ現実だよね、と確認する時ってすでに現実を疑ってるわけで、幻影ですよという後半の秘密が漏れ出してしまってるような。
「無邪気に」「嬉しそうに」「明るく」などが一人称によるストレート表現なので、少年の無邪気偽装が不自然な感じ。ほのぼの和名で読み手のイメージはすでにほのぼの方向へ走り出しているから、血まみれの展開まで余計な指示表現なしに泳がせた方が、「こっちのイメージが勝手に走った、やられたー」と思えると思う。
「無邪気」を言葉で記し、主人公とぴったり同じ場所で読み手を現実に直面させるよりは、「主人公と同じものを見てると思いこんでた読み手」を計画的に放り出す、という方が、一人称で語る意義が分厚くなると思うけどどうだろう。ひい、悪文ご容赦。無理のある一人称「>私は消えていた。」はそういうことをやろうとしてると思ったけど違うかな。
B09 蝶の記憶
自分にとって分かりきっていることはわざわざ言葉にしないモノローグ。蝶の姿は、暑苦しい世間以外の色々なものに例えられ、葬儀のシーンでは過ぎ去る人生の輝きを仮託され、急にひとこと「>この蝶にだけは伝えたい」と思いを届けるメッセンジャーのように言われ、象徴の役割がひらひらと逃げた。
「>いつまでもわたしの記憶に鮮烈なままこびりついて、離れることはなかった。」
で回想の語りが着地したのに、一段挟んでまた「記憶」という外箱をいじるのはなぜだろう。
「>それはとても痛くて、かけがえのない若い日の記憶だった。」
「だった」という過去形で、すべてがのろのろっと過去へ押しやられ、ブツンと切れる余韻が聞こえなくなると思う。
B10 Clear
色立ての章を経巡るかっこいい構成。決まった言い回しの積み重ねが寓話的。
「>自分に向けられた興味本位のその問い」などセリフをあらためてなぞってあり、やり取りが止まる。どういう印象を受けるべきかを読み手に代わって決めてくれてるような親切。読む楽しみを薄くさせると思う。
オチを担う重要単語が英語であることはやっぱりモヤモヤする。語の由来としてclearとClaireは同根である(←知りません)とか、スペルが独特な変わり種名前だとかもあるだろうけど、そういう回り道を色々してから納得するような幕切れではないはずなので。
B11 カウントダウンは始まった
ずらずらとつながりつづけるやりとり。言葉がすべて主人公の呪詛表現であるという胸すく構成。「言う」「声」「聞き返す」「答える」「返された言葉」など、セリフを置いた時点で表現されたはずの描写がダブっててせっかくの熱気が逃げる感じ。終段、短い間隔で隣合う「あの子」に混乱。ここまで偏執してる相手を実は好きじゃないという情報は重大な暴露なのに、間違っちゃいけないふたりの呼称が同じなのは大ラスの着地を乱すと思う。逆にここで一回目の「嫌いなあの子」をさっちゃんと思わせ、「いいえ、さっちゃんをあの子とは呼びませんのよ」なんて舌を出してみせる工夫があったら主人公の毒気が大ボリュームで響き渡ると思うけどどうだろう。
B12 黒鍵のエチュード
開かずの扉、記憶の定かでない私、いわくありげな住人でぐいぐい読ませる。「>倉庫に仕舞って」の大時代感が好きだなーと思っていたら、好きな世界に入りこんだ作者だった!おもしろ~。「>鍵盤を叩く」という表現が繰り返され、謎の渦中でも「ここしっかり覚えてたらいいんだな」と読んでいて迷わない。大魔法使いのホームポジションが世界に色を与える。自然な成り行きという意味の「~すれば」が効果的な箇所とそうでない箇所があり、効果が減速。文字入力でねじ伏せるところのスピード感。「>鍵盤を叩けば、その通りに昇さんは膝をつく。」ここの「~すれば」効果が一番すき。
キャラが好きすぎて死んでほしくないと思うほど本気で死なせようとしている書き手というと、グインサーガの栗本薫を思い出したり。(←そんな発言はされてません)夢の中でキーボード打っちゃったりしてそうだなあ。