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これはK96さんのwebマンガ+イラストサイト「870R」(サイトは18歳以上推奨)「HANA-MARU」からの二次創作です。(HNじゃいこ)
全26話。第1話はこちら。
他のHANA-MARU二次小説はこちらから。
おこさまは よまないでくださいね。
大江戸870夜町(9)
「あーあ」
華宮院門跡は、窓の外を眺めてため息をつきました。
「山ばっかりねえ」
山寺なのでしょうがないのですが、オレさまぶりは生来の気質です。
出家前の彼女は、先の将軍の一の姫でした。
現将軍・徳川豊茂家(ほもいえ)は、血筋の面で分かりやすく見劣りし、誰にとってもどうでもいい将軍として擁立されました。よくも悪くも活気にあふれていた前政権の反省を踏まえてのことです。
先代将軍が、あろうことか江戸城中で刺客の凶刃に倒れたとき、平素の敵の多さから黒幕の目星はつかず、犯人の追跡も失敗に終わりました。
あとから分かったことですが、将軍暗殺犯は捕り方だらけの江戸市中へ出ていくような無茶はせず、しばらく城の内部に、しかも本丸御殿に潜伏していたのです。
すべてが判明したときにはヤっちまった後の祭、将軍の一の姫が懐妊していました。
バタ臭い顔の子を産んだ華姫は華宮院として一寺を賜り、髪を下ろして俗世を捨てたのですが、ショートボブきゃわゆーんとか言って通ってくるエゲレス人が、かの将軍暗殺犯であることは、今となってはごく近い側近しか知らない秘密でした。
「ご門跡」
「お入り」
軽武装をがちゃつかせた用人が膝を付き、茶道具箱ほどの包みを押し出します。
「こちら、新しいしりこ玉で」
「何ですって?」
「すみません、噛みました。新しいシリカ玉です」
用人は包みを解いて蓋を取りました。箱の中身は、乳白色の石の固まりでした。
玉髄とも呼ばれる珪素(シリカ)系鉱物は、加工しやすく強度もあり、書画の落款などを彫る篆刻細工によく使われる石材です。
「クラックの少ない、よい晶塊が採れました。有望な鉱脈に当たったようです」
「よろしい。先方に連絡して、納品なさい」
「は」
「やっぱりこれからの時代は、活版印刷よね」
門跡は、文机から刷り見本を手に取りました。細かい部分まで正確な印字です。
西洋活版の活字は金属製ですが、アルファベットどころでない文字種を扱う漢字文化には向きません。
入手しやすいシリカ玉なら、大量の活字を彫ることができ、割れ・欠けの補充も簡単でした。
「七色活版の会は名工ぞろいで、特に混色表現が見事ねえ。ご覧なさい、この色彩」
「は。さすが七色カッパの会、あ、また噛みました」
「これで写経の手間から解放されるわ」
「ご門跡、それは仏道修行の全否定のような」
「何ですって?」
「いえ、噛みました……」
世間では、ページを丸ごと版木に彫る木版印刷が主流です。しかし「お経刷っといて」という罰あたりな注文に応えてくれる版元はありませんでした。
一方、版木を使わない活版印刷は、枠から活字をはずしてしまえば何も証拠は残りません。新参業種である彼らは、まず発禁本や反体制ビラなど、版木を残したくない裏社会からの発注で業績を伸ばしていました。
七色カッパ、いや七色活版の会も、常に当局の手入れを警戒しています。幕府と関わりが深いはずの華宮院はなかなか信用してもらえませんでしたが、活字製作に不可欠のしりこ玉、もといシリカ玉をじゃんじゃん貢ぐことで、ようやく偶然を装ったアポにこぎつけているのでした。
それもこれも、大した宗教心もなく寺社禄を食んでいるとのそしりを免れるためです。「これからは活版がくる!」とか「活版サイコー」とか絶賛しながらムリヤリ盛り上がるくらいなら、真面目に写経に励んだほうが早いのですが、その手の進言はオレさま姫によって噛んだことにされてしまうのでした。
廊下に、とすとすと軽い足音がしました。
「ご門跡、お手紙が」
受け取った書状をはらりと広げ、門跡は文面に目を走らせます。
下命の気配を察し、用人は片膝で待ちました。
「総員召集し、江戸へ向かいなさい」
「は。江戸での任務は」
「樋口桔梗介を殺して」
用人は無言で頭を下げたので、復唱で噛むことはありませんでした。
その頃、越智屋のご隠居は、疲労困憊で石段に座り込んでいました。
「がっかりじゃー」
ズラリとはためく幟(のぼり)には、「お江戸で体験、こんぴら参り!」とあります。四国にあるこんぴらさんの、江戸分社です。
本家に倣った長い石段を昇りきったところで、ご隠居はバタリとくずおれたのでした。
「ご隠居さま、お気を確かに」
「ぱんちら参り。ひどい誤植じゃのう」
ご隠居は震える手で「お江戸の歩き方」をめくります。
赤線が引かれたところは、何度読んでも「ぱんちら参り」でした。
「このガイドブック、校正がしっかりしとるのは特集記事だけのようじゃ。広告ページは外注かのう」
ページ合わせ丸出しの広告部分にあるのは、住所のみのざっくりした店舗案内です。
「まったくご隠居ったら、この抑えた宣伝はさしずめ地下営業のストリップバーじゃーとか言って」
「地下どころか、ここは小高い丘の上じゃないですか」
鶴さん亀さんもへとへとです。
「幟にもちゃんと“こんぴら”って書いてありますよ。一段飛ばしで登る前に確認してください」
「風ではためいとって読めんかったんじゃー」
すっかり弱気のご隠居を日陰に座らせ、鶴さんは社務所へ水をもらいに、亀さんは下り駕籠を頼みに、それぞれ走っていきました。そこへ。
「じいさん、大丈夫か」
木陰にいた男が身を起こしました。
「おや、お昼寝中じゃったかのう」
「ふくらはぎがケイレンしてるぜ」
編笠を心配げに押し上げたキースは、小布を裂いて湿布を作り、ご隠居の足に貼りつけてやりました。
「おお、ずいぶん楽じゃ。売り物の膏薬をすまぬのう。すぐにお代を……」
「いらない。ただの小道具だから」
「ワケありじゃな。異人さんの薬売りとは珍しいと思うたわい」
キースはあごひもを引き、編笠を深くかぶり直します。
「オンナが色々ややこしい相手で、変装しないと会えないんだ」
「それはそれは。よいデートをのう。そうじゃ、ワシお勧めの丸薬を差し上げよう。どんな階段も一段飛ばしじゃ」
トリプルハートの印籠を握らされ、キースは苦笑しました。
「あー、俺たちこういうの必要ないと」
「いやいや。張り切っていくとかえってアレレってことになりがちじゃ。久々の逢瀬がそれでは悲しいでのう」
「……じゃあまあ、もらっとく」
ご隠居はミラクルナイトを想像してご満悦です。
「馴れ初めなぞ聞かせてもらいたいのう。駕籠が来た。乗っていかれい」
「いい。日暮れまで潜伏してなきゃならないんで」
「若いもんはええのうー。上首尾を祈っとるでな」
ハバグッタイム! と親指を立て、ご隠居はこんぴらさんを後にしました。
(第10話につづく!)