管理人・歩く猫 これっぱかしの宝物について。真田丸とネット小説など。ご感想・メッセージなどは拍手のメッセージ欄でも各記事コメントでもお気軽にどうぞ
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ネタバレ・辛口ご注意ください。
勝手な一読者の私と、小説との対話です。
要約するという能がなく、心の針が振れたところとその理由をぜんぶ書くというアホな方法をとっています。
作者さまが「それ違うし」と思えるよう、具体的に書いてみたつもりです。
作中からの引用を「>」としています。
F01 空蝉ばかりが残された
はしゃがないやり取りと架空武芸がかっこいい。このまま千草が告白するのかなーという流れに抵抗して読み、望み通りラブ展開はナシに終わったのだけど、何か物足りない感じ。じゃあ私は何を読みたかったのか。読後、心に残ったポイントは「>教えるのが上手い」というところ。この言葉はヤマ場がほとんど過ぎてから出てくるけど、武芸の見どころがすんなり伝わるオープニングを受け、主人公の師範ぶりの自然さとして印象深く響く。ここから、同世代に勝てたことのない彼女が一番になれるとしたら何かという流れを期待したのだと思う。
才能あふれる他のメンツに追いつくために彼女がしたのは、地道な反復練習だけのように書かれてある。教えるのが上手い人は「できる人」が「何となく」でやってる感覚を言葉にできるのだと思う。論理と反復で技を理解した彼女は、つまり独自の習得メソッドを確立したのじゃないのか。そこを見抜く役割であってほしい師匠の存在が遠い。劣等感に曇らされた主人公の耳が何も受け取らなかったと思うこともできるけど。悩みが晴れるような言葉をもらっていたら、この小説は始まらなかったのかもしれないし。
>「ねえ、千草。あなたは今の生活、楽しい?」
この質問が出るってことは、彼女は楽しくない。問題なのがこの後で、「>もちろん。難しくてやりがいがある」と答える千草に「>皆伝や優勝を目指していたときのよう」としか比喩を付けられない彼女は、自分の鍛錬以外、いまだに剣のやりがいを見つけていない。
>自分がひどく歪んだ存在に思えた。他の人のように、何にもなれないまま一人取り残された自分が。
>私にとって剣を握るのは日常なのだから
彼女の日常にも、教師であるという自覚が見当たらないような。かっこいい導入部が宙に浮く感じ。「私は何者であるか」と描いてみせた自画像には自分と剣しかなく、ともに普段の日々を送る他者がフレーム内に一人もいないからっぽさ。空蝉というタイトルではあるけど。
>剣に価値などないと、私自身が思っていたのかもしれない。それで好きと言える?
好きな気持ちを自力で証明しなきゃいけないと思い込んでる彼女だから、「剣の方に価値がないとしたら」なんつーそもそも論で、自傷行為のようなことを始めてしまう。これ以上掘っても何も出ないと認めて外部入力を待つか、本人も言ってるように爆発するかしていい。こんなにモノローグが内圧を上げているのに、小説はいつまでもそれを野放しにしている。囲い込む壁に手ごたえがないから、爆発もできないような。
絶対の内声を持つ瑠璃に対抗するような、自我あるキャラがいないのかもしれない。「この人にコレ言っちゃだめ」という摩擦がそのまま小説の熱になるはずだけど、瑠璃が体当たりで長年の思慕を告げても、奇声イッパツ素振りを始めても、「そういうの、瑠璃らしい」で終わりそう。のれんに千草。
>未熟だから留まり続けているわけではないと、思いたかった。
爆発を回避して「>思いたかった」の迷いはいまだ大きく、解かれるべき疑問も残っている。嬉しいことも悲しいことも剣を通してとらえるなど、インプットの手段が剣であるという彼女の、アウトプットとは何か。
たとえば生徒がダメであればあるほど、教師の腕が試される。常盤の出来がよすぎるのかもしれない。常盤は、千草を重ねる形しろというだけの存在に見えた。
>「僕も兄上も、先生の舞い姿が一番好きですよ」
「一番」の意味がはっきりしない感じ。やり取りからすると「五彩の中で」かな。五番手のコンプレックスを気づかってるようにも聞こえ、「先生は舞ってるときが一番いいよ」みたいなジゴロの文句にも似てるし、何だかシーンを曖昧にする単語。「>直刃」と言って耐える主人公に、共感しそびれた。「一番」の意味として何か「瑠璃だけができてること」たとえば足さばきの論理的解釈などを、この兄弟にはっきり評価されたら、嬉しくて小説の展開が変わってしまうんだけども。
名選手名コーチたりえず、の逆だと思う。伸び悩む選手の癖を見抜き、理にかなったフォームへと修正してやれるのが、直感以外のところで勝負してきた彼女であるはず。主人公は何者であるか。これを語らせるのが小説の目的だとしたら、仮の答えとして言えるのは「瑠璃は教師である」。教師が使える数少ない魔法、教え子を大変身させる魔法を、瑠璃に使わせてあげたかった。感想長大化の理由ココです。
>彼らが見なかった光に出会えるかもしれない。私だけの光に
目の前にその兆しはあるが、彼女はまた千草を重ねてしまう。
F02 名前のない色
周囲からの直球を直球のまま打ち返す主人公。罵倒も弱音も、自分ワールドからの定点発信。「自分は美形だから注目の的だから人より優位に立てる」、「自分は男らしくないからいらない子だから泣くのはシャクだから歯を食いしばって耐える」、この単純帰納法のまっすぐ先には「親父を殺して俺も死ぬ」が待ってる気がするけど、それを描きたい小説でもないように思う。
一方的な興味を寄せてくる級友。一方的な失望をあびせる両親。川ちゃんだって「きわどいこと言ったら顔赤くしたちょろい男」かもしれないのに、なぜ主人公にはそう見えないか。モノローグ外で唯一主人公の素直な姿を映し出せる川ちゃんだから、彼はもっと多彩な言葉で主人公を表現できると思う。主人公がすっかり泣き顔になってから「>泣けば」と言うんじゃなく、もっと前から、主人公が憎まれ口叩いてるときから泣きたい気持ちを言い当てたりしたら、運命の人ムードが高まった気がする。
主人公のアイデンティティは父親の行動ひとつで簡単につぶされ、「自分がおかしい子だから親もおかしい」と「親がおかしいから自分も自暴自棄に」が息継ぎなくループしていく。自分視点の理屈から、距離を取ることが必要なのだと思う。そのために文字で書き、第三者の目で見るということを、小説はさせるのだと思う。
主人公がこのことを小説に書くべきというんじゃなくて、小説の効能がうまく機能してない感じ。一人称の主語から自分を引っこ抜かないと「オレじゃなく親父がおかしい!」がいつまでも言えないんだと思う。「おかしいのはオレじゃない!」という叫びが「世間的におかしくたっていい、君はありのままで」という慰めの中でウヤムヤになっていく。
「自分を許せ」は「オレが丸ごと愛してやる」を言う覚悟のない人が口にしたって「自分を許せないお前が悪い」を誘発するだけのように思う。川ちゃんの慰めは言葉先でなく「一緒にいる」「相づちうつ」「一回さわらせる」などに力があるのだけど、「父親を殺して自由になる」を選択肢から追い出すほどの決定力はない感じ。
川ちゃんの色の話は、主人公を特殊枠に追いやりたいのか全人類ごと「>ひとつの光」にくくり込みたいのか、状況によって好きな方を取れる解釈のような。これをどっちも言っておく感じでずるい。
>「でもその名前のついた色から漏れて苦しんでいるのがお前だ」
> 川ちゃんの言葉に僕は息をのむ。そうだ、僕は名前のない色だ。男でも女でもなくて、どっちつかずで、名前なんて分からない。
誰でもそうでは。本当の名なんて知らないまま、当てはめられた呼び名に抗い、こんなはずじゃなかったと苦しむのは、主人公ばかりじゃないのでは。「病気」「変態」と息子に雑な呼び名しか付けられないでいる親だって。「>光の子として」が万人に向けて言われるとき、親も一緒に救われてしまうのでは。救われたっていいけど「親も苦しんでたな」という共感はずっと後でもできる。
とはいえそのへんあまり踏み込まず、焦点をキリキリ絞った主人公の視界が緩むまで、準備室にいさせてくれるだけの川ちゃんでいい。変にからかって優しい関係が壊れたらどうしようみたいな心配をしない主人公は、生まれついてのモテなんだろうか。
F03 鐘山に迷う
みっしり感にひるむも、文意の明らかな書きぶりは流れがつかみやすく、目を滑らせて読める。逆に言えば、引っ掛かる表現に出会わないまま目が滑るような。
>蛍は人魂だと古より信じられている。ならば、この無数の蛍は誰の魂なのか。
「ならば」という接続にハテナ。「蛍は人魂だ。その証拠にホラご覧」という意味だろうか。だとしたら「~信じられている」という伝聞な言い方が今度はハテナ。男が言い伝えを「そういう話らしい」以上に信じるようになった理由は、すでに語られているのだっけ。どうだっけ。
>思い出の縁であって、悪しきものではない。古より蛍は人魂であると伝えられきた。子は怪力乱心を語らずと雖も、もしや母がと思った男を誰が責めることができようか。
蛍を蛍として写生してきた流れから、急に悪くないとかばったり怪異と言ったりする。責める要素を持ち出したのは語り手なので、反語が空回る感じ。「言い伝え」「そうかもな」「信じたい」の近辺を行ったり来たりした印象のままラストにのぞむ。蛍のことを「>荊国公と志を同じくする者たち」だと信じ「>深く己を恥じ」るほどの意識転換があったようには、私には読めなかった。
>荊国公の改革は一度は息を吹き返したが、また廃されると、政治はいよいよ混迷を深め、その隙を外敵に攻め込まれ
荊国公の改革さえ守っていればすべてうまく運んだのに、という風に読める。現実の歴史のたらればじゃなく、小説としてフムフム読んできた私は、改革を打ち出したり引っ込めたりを簡単にできるようになっていた宋には、混乱の基礎がすでにあったのだった、みたいな、ベタでも宙返りひとつ決めてくれる着地を期待するのだった。
F04 子連れ天使
ある夜の裏稼業。読者にとって不明であろうことをすべて説明してくれる一人称に、てきぱきした救出シーンが似合う。急ぎの用を頼むなら忙しそうな奴がいい。自分も急いでるから仕事が早い(某上方落語)。台風の夜に頼るなら殺し屋がいい。アリバイ補完のために何だってやる。
>「駄目ですか」
>「うっ」
>一度、話題を変えておいて、返事を迫る。
など、対話の変拍子遊びが楽しい。板挟みシチュエーションでは、説明っぽさをごまかしてくれる語りの飛躍のようなものがなく、迷いも言い訳も自前でまっすぐ語り終わった感じ。
天使は「あなたは罪人ですが救われます」と告げに来るのだと思う。救いの前に、きっちり罪の宣告がある。「自分は罪人だ」という思いにさいなまれてるから、誰かを天使と思いたくなるのでは。
>この二人は、殺されて当然の二人ではない
殺されて当然の悪人だけを殺したと胸張って言えるような、たとえば凶悪犯を射殺したお巡りさんだって、人の命を奪ったことについて何度も正義を問い直すんだと思う。スーパー台風をものともせずに立っていられる主人公は、「自分はまるっきり間違っていたかもしれない」と足元をゆるがされたことなど一度もない感じ。語りの支配が強すぎる密室劇に収束せず、地域の避難所に借り子が揃ってないことを心配した大家さんが来ちゃうとか、闖入者展開などあれば、悔悛せずに救われるとこだけ救われようとする男の話ではなくなったかも。
F05 異説クリュタイムネーストラー
神話の相関図をよく知らなくても「そういうことでしたね」と確認していくやり取りにフムフム。「>カストールは聞き込むその勢いに」「>顔面が蒼白になった」など膨らみのない表現で、語りの世界も膨らまない印象。「あのときはこうだった」という説明と同時進行で登場人物が「それは意外だ」と言ったり目を丸くしたりしてしまう。読んでるこちらの驚きがもうひとつ跳ねないような。
すべてヘレネーへの愛ゆえに。大きな価値転換を打ち出した後で細かいところを修正する感じにモヤモヤ。残酷な殺し裏切りの動機がすべてヘレネーがらみだったってことかと思ったのにそうではなく、残酷なことをする自分の闇を見られたくない、だった。むー、せっかくの愛憎神話劇が家庭内不和にスケールダウンするような。いや、だから異説なのか。
>息災で
死後の世界でこれを言う矛盾をつっついてあると楽しい。西川きよしは毎朝お仏壇に手を合わせ「やすし君、元気にしてるか」と言うそうだ。やっさんの「ワシャ死んどるがな」が聞こえてるんだと思う。目の前にいるカストールならもっと何か言えるのでは。
「>決して振り返ってはならぬ」が「押すなよ」の前フリじゃなくてしょぼん。「>私は振り返らず歩を進めた。」とはあるけど、彼女は「そもそもあの人があれをしなければ」をたくさん言った。首を後ろに向けこそしないものの過去を振り返りまくったモノローグについて、からかうような語りが読めたら素敵。
「>ギリシャ神話において~」と現代の地平に立った一文が分かり切ったことを言うラスト。悪女と呼ばれる女が聖女のような動機でいたことを知る者はいない、というならアイロニーだけど、私なりの理由があってひどい顛末を招きましたというキリッとしたシメの後にこの一文が来ても、いやそういう話を聞きましたよ、と思ってしまう。彼女に対する評判が悪いことは、カストールとの対話の中で、俗世の風の便りとして触れることもできるのでは。
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