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  管理人・歩く猫 これっぱかしの宝物について。真田丸とネット小説など。ご感想・メッセージは記事付属コメントかページ最下段のフォームどちらでもどうぞ
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感想スタンスは、「私の目にこのお話がどう映ったか」のみをひたすらお届けする、というものです。読み手本位です。辛口まじりですが、「勝手なこと言ってるなあ」で片付けていただけるよう、ちっちゃい自分を腹の底までさらして参ります。ネタバレあり、引き込まれた作品ほどいじり回したいので、何につけしつこいです。

G07  父へ
落ち着いた口調で四国ドライブが幕開ける。橋の行く手をしゅいーんと遠望すると、地方局の単発ドラマのオープニングみたい。「>バッグの封筒」がちょっと遠い印象なので、腿のあたりに引き寄せてあると安心。むー、ごたごた説明するのは手早い導入部の邪魔かなあ。

移動する道中で人ひとり分の物語が掘り下げられていく。騎士も魔法も創世神話もない、売りは迷いのない誘導手順コレ一本という潔さがかっこいい。「>故郷に向かっているという実感はなかった。無理もない。」 「無理もない。」が誰かが主人公をかばうように響いて「え?」と思った。なくても次の「母は離婚してから一度も…」が読めると思うし、深く独白する静かな語調になると思う。

「大差ない。/ 大差ないと、そう思う。」「>それだけでいい。それだけで。」など、繰り返すリズムの章シメがきれい。逆に言えば、変則リズムがない章は印象が薄いまま途切れる。そう毎度毎度強調しときゃいいってもんでもないが、「遠い目で笑う」などはあまりに慣用句が生(き)のまま。何かひとつ、「なぜか車から降りない」とか「なぜかFMに邪魔され続ける」とか(例がお粗末ですが)、モノローグ上のふざけた縛りか裏テーマのようなものがあれば、読み手をあっという間に前段から中盤へ連れてってしまえると思う。

「>全国どこでも同じ姿のコンビニチェーンは思いのほか落ち着く居場所だ。」 観光旅行でないときの旅情ってこんな風。でもやっぱり地方色が目に付いて「>阿波踊りの写真が表紙の旅行雑誌」「>適当なホテルに目星をつけてケータイを手に取り、何をやっているんだ私は、と頭を抱える。」 手足が勝手に準備をし、来ちまったなあ、というときの、この期に及んでの煮え切らなさが自然。

しかしとことんキャピつかない二十六歳。結婚式をひと月後に控えたバラ色期と分かっても、「>ミュール」が登場してびっくりするくらい、女の子ということを忘れている。長距離ドライブ大丈夫かな。営業なら運転は慣れてるのかしら。そういえば愛車はナビつきじゃないのか。画面が一色塗りの荒野になる田舎だったりすると迷子も楽しい。

とにかく三連休までとった一大・小旅行に、婚約者を連れては来ない。両親の離婚を「まあそういうもの」として育ってきた彼女が、いざ自分が結婚するとき、改めて不安というほどでもないちょっとした影が心のスミに差す、ということはなかっただろうか。旅立つにあたって「私の問題」「ひとりで解決するんだから」と明確な線引きを打ち出す人であるのなら、彼氏とのやり取りで何かひと幕ありそうだ。物語の最大イベントは「父に会う」だけど、結婚という大波も主人公の存在を揺らしてほしい。

「>母に呆れられさんざん馬鹿にされるのは目に見えている。」という動機が誠実。ピンポンダッシュの余韻も軽やかに、エンドロールを予感させたところで父登場、生身。コンビニ袋を提げたくたびれたおっさんというのは、こんなにもインパクトある映像だったか。リフォームもされず新しい住人もなく、生家は古びるばかりで主人公を優しく待っていた。そこに住む父親の人生トピックは、きっとデパートでのぎこちない食事の後から大して項目を増やしていない。くそう、呼吸がしんどい。のしかからんばかりの哀愁。電池か何か買いにいっただけだよね。田舎だからコンビニ惣菜ばかりじゃないよね。畑もあるし野菜の大量おすそ分けとかきっとある。赤の他人のオヤジの食生活をむやみに心配させて終幕。「不器用ですから」といっても高倉健よりは緒方拳だろうか。意地張ったあげく離婚した研究者というと山崎努もありだなあ。「>本当に、ひと目だった」という一文の瞬殺で、人物の立ち姿をあっという間に「父」に変えてみせる、マジシャンの手並み。

G08  かつて歩いた道
「>一人でいるのは、さっぱりとしていて、身軽で、爽やかなイメージ。」 一人もいいわよと言う人が、外から見たようなイメージを使って説明するかなあ。「二人でいても孤独なことはある」とか、当人の感じ方に絡んだ例えが読みたい。会話の相手に本心を明かしたくなくて、壁を作っている人のようには見える。「>仕事と母親の両立って大変なんだから」など、すべて順調という肩肘張った物言いも含め、後半で「>崩れたバランス」と表現されるものの下敷き、と考えることはできるので、この「一人と孤独の違いについて」も、終幕改めて本音で語り直してあるときれい。

別れた夫は「嫌いではない」ものの「取り繕えないほどの亀裂がある」。これもどこか踏み込みのあやふやな言い方。主人公が「心情をはっきり言葉で言えない人である」という葛藤でもない限り、書き手がごまかしているように見え始める。母は母、自分は自分とドラマを切り分けているがこれも、「夫はあの父とは違う」という主人公ひとりの思い込みとしたほうがいい気がする。暴力を振るわれていた母の姿は、無意識にでも「夫にはこうしてほしい」という要望になり、応えてくれなかった夫とのすれ違いに関っているはず。暴力家庭の子は必ず結婚がうまくいかないという短絡ではなく、姉はそういう相性も含めて縁に恵まれ、主人公はそうでなかった、ということにできると思うがどうだろう。

「>田舎には、カブトムシもいるんだって」 これだけで「>わがまま」と決め付けられたら、そりゃ「>ときどき過敏な反応を示す」だろう。「身軽で爽やかどころかだいぶ余裕がなくなってる」という前フリなのか、本気で「躾もちゃんとやってる」という描写なのか、はっきりした色分けがほしい。「>でも、お仕事忙しいよ」 忙しいでしょう、じゃないなんて、どこまで気をつかわせてんの!と姉にいっぺん叱ってもらったらいいと思う。「>田舎に行きたい?」と喜ばせてやる前に、きつく言ってごめんねと謝らなきゃいけないと思う。

「>岩乗」って分からなかった。

「>空にすっと立つ杉林が現れると、空気はわずかに冷気を宿した。」 見えている風景が視覚以外の臨場感をまとう。読んだだけでその場に立っていられる。そのまま道の描写が続くが、主人公にも「あ」という実感が点っていったら素敵。だいぶ塗ってそうな主人公のフルメークがどろどろと崩れ始めると夏日の外歩きがリアル。

家を見たシーンの長文の独白が分かりづらい。「>しかし今わたしが感じているめまいは、」とめまいの正体について語られると思えば次文は「>そこにあるもの」の話になっていて読む方向がふらつく。見えるものは今どうでもいい、という結論を出すためであっても、見えるものから啓示を受けたことまで否定しなくていいと思う。瓦やベランダを見て、「あの瓦に石を当てて遊んだ」とか「あのベランダでこうした」とか、アイテムに直結する記憶が呼び起こされたわけではない。でも確かに家そのもののたたずまいは形を持った思い出の総体であるわけで、「>自然から誘発された記憶の再生」とどう違うのか、書き手の線引きが分からない。そのへんの解決を担う次文に勢いがあり、「>そこにあるものはわたしの一時期の日常全体、」から始まる畳みかけで波に乗る。ものの、「>であるように思われた。」と迷いのある末尾でぷしゅんとへたりこんでしまった。もっと強い断定で受けると落ち着くように思う。めまいの最中に「>確かであった。」という強い文末があり、語調を強める順番が逆のように感じる。

「>しかもわたしはそれから長い間目をそらしてきていたのだろう。正面からそれと向き合ったとき」 実感を伴った恐怖、叔母の家で感じた心細さをここでようやく思い出した、という話の続きが「>幼い心に多くの恐怖を生んだ。だからわたしは、結衣にはきちんと話をした。」と離婚当初につながってしまうのでおやと思う。ちゃんと経験を忘れずにいたじゃない…。子育て疲れについての友人とのたわいもない会話を覚えているのに、娘を叱って気まずくなったことは言われるまで忘れていたり、小説の都合によって主人公の記憶があちこちする印象。結局何から目をそらしてきたと分かったのだろう。他人に壁を作る性格とか離婚の原因とか、これまでの自分がひっくり返るような深い自省があると好きだけど、単に結衣の立場が理解できた感じだけで終わる。「>娘の瞳の奥にも、かつてのわたしと同じ怯えがある」と分かったら、このまま育てば結衣も今の自分と同じ、感情のこわばった大人になるんだと心配する展開が読みたい。

「>わたしは母のことを恨んではいない。」 子供の頃、ただ置き去りにされたと思い込んでいたときも、恨まなかった、というのならわざわざ言う意味があるが、大人になって事情も色々分かった現在の自分が「恨んでいない」のは当然だと思う。「結衣は選べた」「私は選ばせてもらえなかった」という対比で引き合いに出すのがおかしいのかもしれない。

「>それでも今よりはずっと良くなるはずと信じて」 他に情報がないときの、前を見ているしかない頼りなさがいい。

「>夫がいたころの方が、より自然に母親として在れたように思う。」 幸せのためには不要と切り捨てたはずの夫を認めるような態度に見えるので、いや認めたっていいけど母娘の人生が拓けていく成り行きには邪魔に思えるので、結衣視点にしてみたらどうだろう。結衣にしたら、気持ちのすれ違ってる両親でも頭数がふたつあるだけでそれなりに安心していられたかも、とか。

「>もしかすると娘は、父親と母親を一度に失っていたのかもしれない。」 結衣に選択の機会を与えてフェアでしょうとか、両親ふた役は自分にとってどうだとか、自分を軸にした物の見方から離れ、ほんとうにほんとうに娘の立場に立ってやれた瞬間だと思う。「>本当にママでよかったの?」を言ってしまってもいいと思うのに…。「>もともと自分が完全な母親であるとは思っていない。」という覚悟があるぞ、と呟くだけでは自己完結だ。それを口に出し、「色々不完全でごめんね」と子供にぶつけてしまうところから始まるものがあると思う。

「>早く行こう。ママは明日も仕事だよ」の前に「>手をひいた」があると、内容を読む前からセリフが結衣の声で聞こえると思う。「>小さな胸」は私には不要だった。

全く関係ないですが、子供のマッピング感覚って面白いほど間違ってる。「おばあちゃんちのすぐ裏の駄菓子屋」が路地いっぽんどころじゃなく遠かった思い出が。最近も迷子の子を保護し、すわ通報、と騒然とするも本人が「おうちはすぐそこ」と言うので「見える宅地をしらみつぶしに当たるか」と連れ回そうとしたら親が車で現れ、車で十分かかる「すぐ」だったことが判明、したり。主人公親子は、叔母さんの家が見つからなくてもちょっとした冒険旅行ができたろうなあ。

G09  畦道の少年
冒頭からマウンテンバイクが渋滞。こう何度も繰り返さなきゃいけないわけがないと思うのだけど。少年二人の単なる位置関係がギクシャクと説明される。チャリを挟んだアイスのやり取りで紹介が済んだことになるのか、名前が二つ登場したら「じゃ、分かったね」と物語が始まってしまう。どっちがメガネでどっちが坊主でも大勢に影響ないので読むのに困りはしないけど、そう思った段階で小説から気持ちが離れている。

筆記用具のはねる音、たんぼに映る空など、写生描写がきれい。

「>「あ、なんかおる」/ そう言って立ち止まった」 道に立っている人を思い浮かべてしまう。

「>とまった昌浩を行き過ぎた彰吾がバックしてきて、昌浩の見つめる先を」 どっちがどっちでも影響ない。動作説明がごたごたしている間にイメージ喚起力が失われ、人物を当てはめようがないから。「>なに」というセリフの後に続けるなら、「>とまった昌浩を行き過ぎた」はいらないと思う。

「>こまねく」は「小さく招く」?「手をこまねいて見守る」とか何もできないという意味のあれでは。方言ではこういう風にも使うのかな。

「>茶色く濁った水は底の深さを教えない。」 ここだけ急にもって回った修辞。浮いて見える。「>池に手を突っ込んで魚を追いかけまわす昌浩」「>池にダイブしそうになった彰吾」など頭でっかちに詰め込んである。さっきのいきさつを説明しに戻るわけで流れを止めると思う。

「>スーツを着込み、めかし込んでいた。」 特別の思いを込めた動作である、という描写を「込む」の連発で済ませるのは手抜きっぽい気がする。

終始関西臭の漂う方言が話されるが、「>暑い暑い言ってんじゃねえよ」「>入れるもんねぇかなぁ」「>麦茶はヤバイだろ」「>どこだよ」などはテレビの影響か東寄り、いや関西弁ツッコミがテレビの影響?そして「バカ」の頻度が高い。岐阜東海あたりかな。エンディングは子供時代よりどっぷり西な感じのしゃべりになっている。方言しゃべるのも久々なんじゃないかな。あっという間に蘇るわーとかちょっと薄まってるでお前とか、見た目描写だけでない部分でも時の流れを感じたかった。

G10  草いきれの道
「>何処までも続く一本の道。私の地獄はそんな貌をしている。」 ああ地獄についての話だったかと、しばらくぼやっとこの文に見入る。淡々と語られる戦中記。殴り殴られ、出し抜き陥れという、よく聞くゲンコツ飛び交う兵隊ドラマはない。いやあったのかもしれないが、主人公は拳を固めて何かをつかみ取る人でなく、切羽詰ってそんな意気込みが育つこともないまま、あれよあれよと敗戦。

「>或る日突然宿営地の外に広がる草原が緑に染まり、」 あれよあれよと夏。大陸といえば、ドクトル・ジバゴか何かロシアが舞台の話で、ある日いきなし春!という描写があった。もうある日いきなし狂ったように今日から春。花という花はぜんぶ咲き、金色の陽光降り注ぎ、世界が一夜にして歓喜テンション。なるほど革命起こそうって人が育つわと妙に納得したものです。何の話かというと「風景と人物が、意味するものを同じくする」ことについて。「>そしてそのまま短い夏が過ぎて行き、」という時間経過が、もうあとひと押し主人公の「流されるまま」感に踏み込んだ風景として見えたら、風景と人物が溶け合い、勝手にひとつの流れを作ってそのまましゅうっと走ると思う。後段「>草いきれ」と言うだけで、あのときの呆然とか宙ぶらりんとか「おいらのあずかり知らん間に夏(敗戦)」という傍観とかが、わっと立ち上がると思う。低い低い熱量をキープする語調のまま、終幕でタイトルをがんと響かせられると思う。「わっ」とか「がん」とか、やかましいクライマックスは好みが分かれるけども。「>白い蝶」は少し思い出す作業が要った。

「>抵抗も逃亡も許されず、「生きて虜囚の辱めを受けず」と云う軍訓は有名無実のものとなっていた。」 「許されず」という禁止のニュアンスが宙に浮き、あれと思った。軍規は有名無実化、「>留まるか、行くか」の選択が部隊の目の前に放り出されているというシーンなわけで、一体どんな権威が「許さぬ」と言ったのか。

死線をまたいで確かに人生が交差した相手の、名前も思い出せないという体温のない述懐で終わる。調べればそれは記録があるが、調べる気も起きなかったということか。山形県人衆とはしばらく連絡があり、それも表層の付き合いだけで途切れた。時間に洗われるまま記憶を手放し、かろうじて残ったものが中隊長との短いやり取り。人は渦中にいてもすべてを他人ごとのような顔で見送ることができるという、やり切れない空洞におののいて終幕。

G11  旅は道連れ世はソーダ味
少年口語の一人称。意気揚々と冒険が始まるものの、同じ電車にたくさん知り合いが集ってしまった。ソーダソフトという目的もかぶり、見知らぬ同士のハプニングが楽しい「>旅は道連れ」行としては多少トーンが下がる。子供の遠出が警察沙汰にならない安全演出ということなのかもしれないが、出来事もすべて「子供らしい」理解を通して安全に語られ、ちょっと飽きが来た。

「>僕の目の前でぷしゅーっとドアが開いて、ワクワクしながら乗り込んで座った。」 自分で「ワクワクしながら」と言っちゃえる目線は作り事くさい。初めて大人に連れられず乗り込む電車だもの、緊張で色々目一杯になったのを私でも覚えてる気がする。「白線の内側ってそりゃどこ」「ホームとの隙間すげえ」「あそこに座る」「詰めるべき?」など、目の前の手順で頭が一杯の慌てぶりを、大人の理性にろ過されてしまった感じ。たとえばこれが子供の日記で冒険を思い出しつつ書いているということなら「ワクワクしながら」という鮮度の落ちた表現もわかるし、「>さあ、行こう!」も日記に臨場感を後付けする子供なりの演出として読めるが、これは大人が書いた小説で、オトナ/コドモの配分が定まらない印象。

「>「一緒に行こうか」/ 僕はうそをついたことをはげしく後悔した。一人で行くつもりだったのに!」 慌てているからてっきり海岸までべったり同道することになったんだと思っていたら、「>その前で降りてしまうけど」そこまで、ということだった。なら別に焦ることなかったような?目的地までの電車内もひとりで過ごすんだという縛りはなかったと思う。

「>パラソルをもろともせず、」 子供しゃべりという演出であれば、もっと満遍なく記憶違いワードがあったら楽しい。てっこんキンクリートとかのあれ。

ソーダソフトが「>ソーダの味の冷たいクリーム」「>すっごくさわやかな味」でしかなく、物足りない。おじいちゃんまで「これはラムネ」と納得するのがちょっとハテナ。飲み物とアイスで食感も違うし、ピチパチするわけでもなさそうで、「>ホントにソーダ」と言わせるための工夫は合成香料勝負になると思うが、その香りで特定の食べ物を連想するかどうかという共通体験は、世代間でかなり違うと思う。「ソーダ飴」はほぼ砂糖味でちっともソーダ味でないと言う人もいる。ガムのあとくちがなぜかすごい。唾液を取られた。

G12  エバーグリーン
「海のポスターと木々のざわめき」や「>たとえば酸素とか。」など、部分だけを切り取ると大好きなものがいっぱい。どこかで何かに乗りそこねた。

「>何それ、カワイイ。遠足?」 状況の中で小さな言葉がキラキラしてる。でも水筒が始めから遠足仕様でないと「首にかける」はできない。「>鞄に戻す」というとステンレス水筒かペットボトルみたいに思っていて、でも長いボトルホルダーがついているようにも書いていないわけで、つまり鞄から出した時点でその水筒は潜在的にかわいいと思う。遠足要素を暴き出す功績をウタさんの魔法のひと言に譲り渡すために、首にかけるのは「遠足?」を言われた後でもよくないか。「>きみってさりげなく人の話聞かないよね」がまたぽんと力の抜けたボレーで好き。「遠足?」を受けて「よし、こうか」と首にかけたら「人の話聞かない」人じゃなくなるんだよなあ。とごちゃごちゃ考えている間にリズムを見失ったのか。

「>ウタさん、わざとやっているな。」 呟きが入るタイミングに好感。関係がはっきり説明されないウタさんという人について、ミツを媒介に近づいていける。ミツが「ウタさんてこういう人」と親しげに言えばもう安心。後半がっさーとうっちゃられるけども。

「>あるいはどちらでもないのかも。」 普通の言葉。なのに輝くような魔法を感じる。活字なのに音声になっている文章が小説にはたまにあって、それだと思う。ここが好きすぎて、次の「>すくなくともそれを言ったとき、ウタさんは笑っていなかっただろう。」という平凡なコに段落をシメられるのが、何だか落ち着かない。文章を擬人化したコイツ…キモくてすいません。

「>眉間に指を突きつけられたときみたいに、ヘンな気配」「>わたしははじめ、それが緑色であることしかわからなかった。」「>もしかしたら相談しているのかもしれない。彼女のかみさまと。」など、言葉自体、描写が引っ張り出すイメージ、文章のある場所までが色々素敵。そこに水を差すのが、ウタさんへの不信を自覚しているようないないような、主人公のはっきりしないスタンスだったと思う。「ウタさんの沈黙がちょっと怖い」というような描写がされるとき、それは主人公にとってある程度当然のことという語り口が続いた。ウタさんの正体不明さについて、ミツなりの面白い納得の仕方があるのだろうと安心していたのに、ウタさんはヒトじゃなかったという展開で根拠とされるのが、「>出身も、家族構成も、職業も、好きな食べ物も、住んでいる場所も。」 このへんはっきりしない人とでも、現実に仲良くしていることはありそうだ。習い事の同じクラスとか、その同僚の友だちとかで、妙に波長の合う人。ウタさんのたたずまいはそういう種類の友だちなんだなと思わせる導入部だった気がする。「出身」とかは今さら言われてもゾッとできない要素だったので、あれと拍子抜けしたまま、「なるほど以前から付き合いがあるという歴史まで捏造記憶だったか!」と慌て、いや違うか!と戻り、やたら迷ってしまった。

ウタさんの身元を気にせずにいたというのはさて置き、主人公は「>二時」に何かをするつもりで来た。その計画は、ウタさんの正体不明な正体が明かされたことにより狂うのかそうでないのか。「>私がきみが私をここに誘うように誘った」作用がもうすべてを覆っちまっているのか、まだ主人公の自由意志はあるのか。あるならそれは自覚されているのか。清流を錦鯉が舞い踊り、そびえる巨樹は「>生臭い緑」。魅惑の異界に心奪われつつ、「>わたしは靴をはいていなかった。」など、「このシーンではこれを不思議がることになってるのか」と自分の受像機をそのつど微調整しているうち、小説から心が離れていく。

「>世界はとても多層的」「>きみが目覚め」るなど、来し方行く末が大きくまとめられるが、私にとって世界の表層はめくられず、下に何があるのか知らされることはなかった。「説明するわね」というトーンがいっそ邪魔なのかもしれない。だって結局何も明かされない…。ここの長いセリフがなくても、読み手はもう色々知ってる。ウタさんはひとりで来るのは嫌で、でもミツをそう仕向けるくらい重要な場所で、ミツに対しては愛憎半ばする思いがあり、現実と地続きにあるこんな場所に、隠しているけど教えたいものがある。鳥居を呑み込んだ巨樹と、「多層的な世界」という教義(?)、到達点に大きなものがふたつあり、どっちに深く感じ入ればいいか迷ううちに足が止まった。「>そうだとしたら、これは、喜び?」を増幅するような、祝祭的おめでとうコメントを耳が欲しがっていた気がする。「>私たち」の見解を綴った長い通達よりも。

「>ひとつ層を降り」た主人公にとって、世界はこれから状態を変えていくというように読めた。が、そのことは特にこだませず終わる。「バス」「麦茶」「慣れないスカート」「あの家」「布団」など、「わたし」がヒトであるための足場まで、テーブルクロス抜きのようにひゅっと抜かれておかしくないなとあちこちを確かめ読む作業。しかし主人公の意識はそのへん心配することはないようで、安心して布団は布団、家は家、眠りは眠り。絵は完成したのにパズルのピースが余ったようなモヤモヤが残るラスト。

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