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  管理人・歩く猫 これっぱかしの宝物について。真田丸とネット小説など。ご感想・メッセージなどは拍手のメッセージ欄でも各記事コメントでもお気軽にどうぞ
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感想スタンスは、「私の目にこのお話がどう映ったか」のみをひたすらお届けする、というものです。読み手本位です。辛口まじりですが、「勝手なこと言ってるなあ」で片付けていただけるよう、ちっちゃい自分を腹の底までさらして参ります。ネタバレあり、引き込まれた作品ほどいじり回したいので、何につけしつこいです。

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F01  より道
センパイセンパイ言ったって年齢差はひとつふたつなのに、よくこんなにどっぷりと役割の中にいられたなあ、と自分も懐かしい。後輩演技の徹底した男子。「キャラ」以上のものが見えなくて、「小説の登場人物」という意味の「キャラ」として言えば、すごくガードが固い。内心がない。月9ドラマとか流行の芸人とか、行き先のないガールトークに付き合える男には必ず下心が!という暴露がないのでソワソワした。この先彼女の知らない男の顔が出てきても、それは彼が計算でかぶった役割の仮面にすぎないだろうなと思ってしまう。「家まで送る」スキームを突かれた時点でもオタつかず、「>ひっでー、先輩、ひっでー」でやり過ごせる落ち着き。彼女の方がずっと意識しちゃってる。「別れる」⇒「カレシいたんだ」連想さえ、そういう女子スイッチ起動のための根回しだったはずだ。(疑いすぎ?) 突然の告白もすっかり彼のペース。後輩キャラという仮面で本心を隠していた彼の企みを「>無邪気」の一語で片付けるのであれば、この小説の中で生きているのは主人公の彼女だけで、その孤独はすごくさみしい。「>別れ」よりもずっと。

F02  ばみゅーだ☆とらいあんぐる
中一設定が絶妙。まだまだ「ショウガクセイ」を引きずった、ちらほら「告白」とか言い出す子もいつつ、いわゆる「中二」の異様な羞恥・自意識はまだないどっちつかず期。仲間うちの「ナントカごっこ遊び」も幼児ストーリーでヒネりなく、コロコロじゃれる姿は育ちかけの半端子犬のようなブサイクさ。(成犬直前って一瞬ブサイクなんですよね) もう大きいのに(これ言わせるとこがコドモか^^;)女子を囲んで吠え騒いじゃって、「君たち、そんなこといつまでもやってられないんだよ」といつ言われてしまうか、もう今日かそれは今か、というカウントダウン状態。しつこい「>攻撃」とか「>退治」とか、「>かわいそうだよ」「>どこがっ」なんて過敏反応は簡単に「スキいじめ」の境界を越えてしまう危うさなのに、ギリギリで「ほのぼの」に踏みとどまっているのは、「>ぜーーーーったいに」「>ばかじゃねーの。」「>むかつく。むかつく。」など表層のバカ発言が多く、心情をぶつぶつ語らせない効果だと思う。内省的になったところで「>でもなにかもやもやする」程度、まだ言葉で自我をとらえられないというのが読み手として安心。ごじゃごじゃの自意識を読まされずに済む。

「>先頭にいる男の笑顔が崩れる。/ あまりのわかりやすさに、」 「わかりやすい」という単語に一瞬混乱する。何かわかるべきことあったっけ?例えばここで「わかりやすっ」というツッコミは成立しない。男たちは何も隠そうとはしてないから。この状況に親和する単語というと、「あからさま」とかだろうか。男が大吾の言葉ひとつにぱっと豹変して、そのあからさまさにぎょっとした、ということだと思う。でも「ぎょっとした」「慌てて弁解」という部品がそもそも不要かも。流れが寸断される。

「>では私たちは君を教育する」の前に、「なるほど君が酷いあだ名の発生源なのだな」という男たちの視野転換が示されていると、勧誘⇒突然の攻撃という展開がスッキリすると思う。

「>と思った瞬間、シャツのすそがつかまれる。/「くっ! 待ちたまえ君っ!!」/ ダメだ。つかまる。」 いやもう捕まってる。不要なコマのように思う。「>「待ちなさぁい!!!」/ 観念しかかったとき、そこへ黄色い声が、降ってきた。」 セリフのタイミングと、「観念」「降ってきた」の順序にバラつき。工夫すれば大吾のピンチと登場セリフがいっぺんに出せると思う。(言うだけ番長)

「やばい知り合いだ」と思っても決まり口上はきちんと、という律儀さにぷぷぷ。しかしそもそものきっかけは委員会からの勧誘で、力も変なあだ名撲滅用に備わったもので、でも今回彼らをやっつけちゃったのは大吾は特別だから助けてくれた、ということだよね。なら「>現れたなマジカル☆レイカ!! 今日こそは」のような、いつも戦っている常敵の関係になるとは思えない。対決のときの決まり文句に、ショッカーから足抜けした仮面ライダー的いきさつが織り込んであると楽しい。

しかしこの「それだけで短編の導入部になる珍名さん」「隣のアイツはエ?職業的ワンダーガール?」という品揃えは…というか受け入れる私の抵抗のなさは…竹本泉だ!よみきりものとぴこぴこのきらきらだ!わははー!(勝手連想シツレイ) 待てよいつだかの覆面企画でどなたかの感想に出なかったか竹本泉?推理第一歩めも。増殖する黒スーツたちは立ちはだかるばかりで攻撃性がなく、私の脳内ではすっかり竹本泉のやわらかペンタッチ♪

F03  魂に著作権はない 注
「>格人複製」はもったいない誤表記。意識に直結アクセスという士郎正宗ビューへの誘導として、「>探し当てた番組が(ヨリカの)脳裏に映し出され(た)」などにしておくと、ヨリカというものの居場所が早めに理解できるかも。

「>リソース」と呼ばれるものの立ち位置がピンと来なかった。「>無限」だったり「>定められた」となったり、形容が一定しない。1)ひとり頭の幸福の割り当ては定められている、2)ひとり頭の総数が無限に増えても大丈夫、ということであれば、1)2)それぞれの主語は別物になると思うのだけどどうだろう。そのへんを一番いっしょくたに使うのがタヨで、彼女の口からすべてが説明されるせいか、展開としての「リソースのインフレ」はその言語定義の曖昧領域から生まれたような気にもさせる。

「>クローンが合法化されてからというもの、オリジナルの独自性は崩れた。」一瞬説得されそうになるが…。「>複製後十二時間経てば別の人間よ。あなたと彼女の道は分岐した。」これは「クローンとオリジナルはそれぞれに独自性を保ってる」ことにならないだろうか。そして別人として生きようとするクローンは、存在がすでにオリジナルへの侵害であるはずだ。ヨリカがとらわれている古臭い考えに立ち戻らなくても。規正法の言う「オリジナルの権利を侵害しない」というのは、現実的に守ることのできる条項なのだろうか。離婚しても父親が父親でい続けるというのは、ヨリカが侵害されることなく保持できるはずの、正当な子供の権利だと思う。父親が「親権を失った側でいたくない」と思い娘のクローンを作った時点で、そこは「父親のためのやり直し世界」となりはしないか。すかさずタヨがフォローに来て、大丈夫、あなたも父親のクローンを作るのよと言われると、それもそうだなと思ってしまう。このへんから読み手もタヨに頼りはじめる。ダジャレでなく。

文句をつけつつも、手かずが整理されたストーリーテリングにはすっかり魅了されている。「父用クローン」の方に視点が移ったと思わせて、実は当人のまま。母親のもとを訪ねるのじゃなく、実は戻ってきた。「どの時点からがクローニング記憶か」というからくりで遊ぶ小説的手腕が爽快。

「>どんな場所にでもその日から“幸せ”に暮らし始めることができる。すべてが代替可能」とは目の覚めるような世界認識。解脱した坊さんみたい。人類がせーのでいっぺんに悟りを開いたらきっとこんな風。とても共感できないが、新理念のその正しさだけは圧倒的で、ぽかーんと見送るしかない「地球幼年期の終わり」(アーサー・C・クラーク)を連想した。「>自分とは所詮世界への窓口でしかない」と言い、「>人はそのジレンマに悩むのを止めたのよ」と言い、何ものにも執着しなさんな、と教えさとすタヨの弁舌が悪魔的に滑らか。望みのものを何でも与え、ひきかえにその価値を全部打ち壊すというのはまさに悪魔の手口。世にあって世界を認識することの意味と価値のすべてを、パズルの外枠をはずすようにガクガクと分解してみせる。

世界さえ複製した、というラストが壮大。無限に続く合わせ鏡のような光景に、怯えるよりも縋るしかない。タヨに会いたい、という赤子のような呟きが頼りなげで好きな余韻。唯一無二の自分を確立することに憧れはしたが、世界そのものが自分のための劇場だったと分かれば、客席にたったひとり、これは孤独だ。このうえタヨと共有できないことが増えては孤独すぎる。結果、バディだけがその価値を無限に高め、悪魔大勝利。

タイトルが宙に浮いて終わる気はする。「>著作権はない」は「当人に著作権はない」であって、魂にはその独自性を示す唯一の証明、バディの名が著作権者として大書されている。「魂に著作権は」ある。

F04  境界線上の魔王
冒険譚が形づくられていくあらましが語られる。「>それは皆様もご存知の“道を知るもの”ラドの三番目の冒険譚に語られ、創作のものとして現れました。」 吟遊詩人らしく構文のねじ曲がった語り口になっているが、「現れた」「>それ」が「男」を指すのか「彼についての物語」を指すのか、定まっていない文章のようにも見える。「(その次第は)皆様もご存知の~(として)語られ、(男は)創作のものとして現れました。」なら着地が落ち着くだろうか。

騎士に棒っこを渡してしまった後、次段ではしれっと「いつもの棒」とばかり標準装備している。「>木陰もないただ一面の荒野」の立場は…。現実にサイズダウンするという展開の途中、まだ神話・英雄譚のベールをうっすら被っていなきゃいけない段階なのに、北斗の拳で「破れた服の着替えはどうしてるの」と聞いちゃいけないアレのような危うさを感じる。ギャップで見せる後半への助走が失速する。

帰らなかった者たちが魔王を演じる男に養われているというのは面白いが、金貨をもらってどうするというんだろう。存在そのものが知られておらず、どことも交流していない孤立集落に、そうそう貨幣が必要になるとは思えない。唯一の域外交易を担う詩人は、何より物資を調達してきなさいよ。そのへん放りっぱなしで唐突に「それはまた別の話」と含み置かれても、しらんがなとなってしまう。

F05  宙の道しるべ
伝記部分への移行がスムーズに行かない。三人称になるからといって視点を拡散させてしまうからだと思う。「>跳躍を終えたことを計器の針が指し示し、正面スクリーンのノイズが消えた」ことは、起こった事実として平板に提示するより、それを見ている誰かがいた方がいい。ここで言うならゲイルの役割か。「>黙ったまま」の博士より先に「それを見ているゲイル」を描写に登場させておけば、「>ふいに目にとまったその様子を不思議そうに眺めていたゲイル」と慌てて説明を積み上げずにすむし。ここだけでなく、会話や動きのあとにドドンと描写が山盛りにされる、という文体がしばらく続き、ちょっと読みにくい。

心の声が聞こえ、ふと見ると制御ピアスがはずされていた、という順番がキレイ。

重箱ながら。「伝記・偉人伝」は伝記作家が書くもので、一人称で書かれるとそれは「自伝・自叙伝」だと思う。「あたし」が読んだ電子書籍の中身は1)ロイディ著、2)第三者著の二通りの可能性があり、1)なら実験の成功を喜ぶ三人称のシーンも博士が書いた(自分の背中を見つめる部下の様子含め)、2)なら第三者の作家が博士になりきって一人称部分を書いた、ということになる。これはどちらも想像するとちょっと不自然で、伝記の体裁としては受け入れにくい。

F06  落とし物
動物の交通事故と、色んなことが分からなくなっている年寄りと。かなしい要素がいっぱい。せめて孫と再会できている幸運を喜びたいけど…どうだろう、チャロがただのヨソ猫で、赤の他人(猫)を孫と思い込んで会いに通うのとでは、博士の毎日はどっちが幸せだろう。かなしみと幸せの配分を計るような小手先の演出で解決してほしくないテーマではあるので、ハッピーエンドを急がない姿勢には好感。前半のゆっくりした家庭描写を終幕にまわして、チャロの語りで何かをキラリとさせることは可能かも。雨の日も寒い日も博士が家に来れるようにしてあげるとか。思えば泥だらけの子猫を保護した一家は事故のことも知ってるはずだから、年寄り猫の出入りにも気づいてて、「あらあら、きっとおじいちゃんね」とかこっそり呟くことだってできる。とにかくチャロはそんな危ない道に不用意に出かけちゃいけないよう。

F07  偽りだらけの道筋 注
あちこち言葉足らずに見えて惜しい。「>どうやら天国にでもあるらしい。」は、「どうやら天国にでも続いているらしい」? 「>人に訪ねて来て欲しくないらしいな」も、何だかごたごたしている。

「>つばの広いカウボーイ・ハット」 カウボーイハットを知らない人への説明みたい。カウボーイハットは大抵つば広だ。薄汚れているとか、几帳面に手入れがしてあるとか、主人公の人柄につながる描写があってもいい。

「>馬を向けて走りだした。」 走ったのは馬で、「馬を向けた」ジョニーは「駆けさせた」のだと思う。以降もこういう動作主のごっちゃになった文章が多い。

「>遊び半分で飛び出した影に発砲する。」 大事な人が死ぬ大事な場面なのに、誰が「遊び半分」だったのかちゃんと言えていない。油断のせいでジョニーの狙いに遊びがあったのか、もし妹が遊び半分に(それもおかしいけど)「なーんちゃって」などと飛び出したのであれば、「影」としか認識していない段階のジョニー視点に乗っけて済ませられる描写じゃないと思う。

「>妙な女に突き当たる。」 街路でばったり会ったみたい。見渡すかぎりの荒野で何か書いている手元まで分かるほど接近する前に、もっと警戒するべきだ。銃をチラつかせる以上、相手も武装している可能性を考えるのがウェスタンの作法だと思う。不用意に射程距離内に入らなければ、いつでも一目散に逃げられる。つばに風穴が開いたとたん「>カチリという音がして、」この近接なやり取りは室内銃撃だ。野外シーンじゃない。

「>明後日おいで!」の繰り返しを無視して話が進むことに違和感。深くは探らずにおき、後で明かされる伏線なんだけど、事情を知らないはずのジョニーまでツッコミを控えているのは不自然に見える。

「>ジョス・カーリーの仲間と見なされてしまうため絶対に口にできないが、」 そう見なされる理由が分からなかった。情婦になれと言われていることは周辺住民も知っているので、すでにある程度「仲間」とも言える。血がつながっているというところまで秘密が明かされて初めて腑に落ちる言い回しだと思う。地の文の解説のような素振りで言うのはおかしい。

「>「無理に押し入るってなら」/ 重いライフルの発泡音が一つ」 ライフルをカウンターからつかみ出す、などワンアクションないと、発砲女とわたわた逃げ出す男どもが楽しく浮かんで来ない。

「>マディを撃った男が地面へと倒れた。ネッカチーフできつく縛るが、」「>ジョス・カーリーも見抜いたに違いない。しかし、延期の申し出は」 あっという間の展開というよりは、コマがひとつふたつ抜けている感じ。

当事者以外の者が武器に手をかけることは決闘の最大のタブーだと思う。マディは何よりジョスの引き連れた十人と同等の味方を立ち合わせるか、武装解除するんでなければ決闘を始めちゃいけないと思う。無法地帯にだってそれなりのルールがある。でなけりゃすぐにジョスのように、みんなぶっ殺して終わりにしようぜ、となってしまう。しかし十人殺せば片付く一党だったのか。

選手交代、別件の決闘にしましょうやとなる成り行きも何だか奇妙。事前協議も誓約ももうグダグダなのに、背中を合わせる作法にだけ忠実なのが何だかおかしい。

「>最後の最後で殺せなくなり、止めようとしていてもおかしくない。その様子にジョス・カーリーも気づいたのだろう。」 逡巡が説明的。マディに撃たれる!というピンチ演出だと思うけど、「と思わせてジョスだった」というびっくりオチはそんなに重要じゃない気がする。一瞬で示し合わせた即興芝居だったのねと振り返るのは楽しいので、実際に読み戻らずに済むよう、印象が整理してあると助かる。「>マディの背中を押すように、」を削るだけでずいぶんスッキリすると思うけどどうだろう。

マディの罪は成立しなかったが、ジョニーの過失致死ははっきりしてると思う。ならず者騒動のせいにしたっていいけど、妹を撃ち殺したことは事実として知れ渡っているのに、どうして保安官を続けられるんだろう。道標は直した方がいい。穀物も酒も弾も自給自足なわけがない。

F08  からたちの歌
「>思いついた問い掛けにすかさずそう返され、ちえーっと呟く。」 「思いついた」「すかさず」という瞬間をとらえた表現なのに、セリフをまたいで一行戻らなきゃならない。瞬間の描写が嘘っぽく響く。

「>慌てて斜め後ろを振り返った。」 「斜め後ろ」という細かい説明のせいで、あまり慌てて見えない。「振り返る」というだけで大体後ろ方面を想像できる。

「>勢い込んでたずねる僕を、コウスケは笑い飛ばす。」 こういう情景はやり取りの積み重ねによってひとりでに表現されると思う。削れる一行。「>なにあっさり騙されて、焦っているんだよ」の後に地の文で「笑いとばされ、むっとした」を言えばいい。ゆえに「>その言葉にからかわれていたのだと知り、」も削れる。

「>心底あきれた様に言われ、」 長いセリフを読ませた後の補足とするよりは、「あのな」で区切るワンクッションとして入れてほしい。まだ誰の姿もつかみきれていない導入部なので、主人公が自分で分析したのかなと思ってしまう。あきれた様に「あのな」と言うのであればコウスケと分かる。

「>ただでさえちょっとやそっとの風では動きそうも無くて、葉すれの音が一切しない。」 空気が止まってる前ぶれ感がいい。

カノン様式の曲は独奏ピアノアレンジがありそうだけど、ガチの輪唱曲、たとえばカエルの歌をひとりで弾くというのはだいぶマニアックな演奏だ。脳トレにはなる。

「~じゃねえよ」「だぜ」と語尾は少年らしいのに、「>歩いている」「>焦っている」「>疲れている」など文中が妙に丁寧。そういうキャラかなとも思うけど、たまに「>歩いてんだよ」も言う。「だぜ」語尾をコウスケの目印にしていたので、不気味な優しさモードの「だよ」語尾に切り替わると、もとから「だよ」語尾の主人公との見分けがつかなくなった。中盤にきて話手を見分ける手がかりを失うのはとても読みづらい。

で、気付いたって何さ?あれって何さ?ずっと一緒に遊んでた子が人外っぽい妖怪だと気付いてからたちの道に隠れたまま囚われた…らしいけど、となるとコウスケの同級生偽装が収まり悪い。中学まで上がった座敷童ってなんかヘンだ。

で、忘れてたことを思い出したことでまた忘れるってどういう装置さ?感想まで輪唱してくる。「そうか!」と世界の違和感を暴いたのに、また同じ光景が始まって、それが輪唱という例えにピッタリで、だから何?と思う。ああコウスケが好きだった輪唱、とうっとりできるほど、キャラとして思い入れられる何かがあれば。

F09  シーキング☆ザ・プリンセス
おーもしろい仕掛け!語られ始めたお話には語り手の姿も描写されていて、その語り手にも何やら語られるべき事情が見えて…。重層構造に「おお」と思い、そんなこととは無関係にお話が面白い。これ重要。

「>昔話をしようか。」とはかっちょいいスタート。余裕たっぷり、どこへでもどうにでも展開できるオープンスタンス。全方向へ撃ち込んでいけるマルチ剣法のような力みなき構え。

かわるがわる合いの手を入れさせながら、嫌悪感の表明で二人の違いを描く。話は前世についてだったとついに分かるが、「どっちがどっちをどう見てた?」という印象がはっきりしているので、進行方向どおり読める。これ重要。転生後に振り返ってみれば、一番許せないのがかつての自分!というのが愉快。

簡単に復讐したりいい王様になったり、自己嫌悪したり飛び下りたりするスピード展開だけど、別視点からのどんでんタタミ返し(造語)を読むのが楽しい。「>かわいいじゃない、姫。無邪気で清らかで純粋で。ちょっと意志薄弱で世間知らずなぐらいがなんだっていうの!?」を読むと、「>王子はもともと優しい人だったんだろう。」を思い出し、ああ純粋で世間知らずだ、と思う。「>姫は泣き顔が一番かわいいとか言ってわざといじめてた」を読むと、「>姉の死を知って怒りに燃えていた王子」「>王子に憎まれていることを嫌というほど知っている」と合わせてなるほど「>変態」の計画と思う^^。

「>暗黒史みたいな記憶」 この一語が、後段ずっと続く莉真の毒舌燃料。そりゃ必死になるわと納得できる。女装の幽閉時代から逃亡するとき、すり替え用の死体は本物がないとあかんもんね…。

来世に託す希望、ではなく「呪い」なところが一般的でない王子。望みが叶えば記憶の持ち越しは終わってしまうという構造は、「楽になりたきゃせっせと姫を探すのだぞ」と来世の自分までも脅し操るための深謀遠慮ではあるが、一般的ロマンとしては物足りないところ。来世もその次もずっと共に…と言って、呪いが解けないことを願うのが普通だ。とりあえず王子は前世に不満があった。両思いになりはしたけど自殺で先立たれたのがこたえたのかな。どんな両思いならかの変態ロマンチストの執着が治まるのか、「>いずれまたきっと交わるであろう。」のあとの決意表明は、「>あなたを手に入れよう」ではなく「今度こそ計略抜きに優しくしよう」とかだと目的意識も高まるかも。「>姫の現世だけあって、悠一郎はいい奴」だという。前世の名残りは莉真にも及んでいて、油断するとサド気が蘇る、とかがあると終幕のギャグになりそう。

F10  ひとつの道からはじまる
一人称にカッコつきでセリフが挟まるが、そうする理由が分からない。妙な記号を挟んでなぜか三人称。冒頭の一人称も、三人称になる両親の死の情景も、どっちも主人公の回想の範疇なんだから、一人称でおかしくないはず。章変えの記号や空行の広さに法則を設けてあるらしいが、全く助けにならない。

真っ当に食べ物描写である「>黄金に輝く七面鳥」の隣で、ケーキが「>白粉と口紅で化粧」では、口紅をかじらされた気分になる。みずみずしい包みのなかにある調和のサラダって何。食べ物、プレゼント。

「>ああ、と少女は父と母がどんな想いでわたしを待っていたのかと愛の深さを思い知らされた。」 こんな棒読みだけで、親の死についての主人公の述懐は終わってしまう。陰惨なカラーをドンと出す次文に強調めいた「>そう、」を冠しているあたり、興味の焦点は人死に要素にあるのかもしれないが、失った愛についてもきちんと掘り下げる義務がある。

愛への恐れについての短い設定がまるで飲み込めない。「>あれからずっと」「>それまでは」「>亡くなってからもずっと」など、作者だけが了解している時の流れが乱暴に並ぶせいだと思う。

「>妹に愛情が注がれていた」「>弟が15年前に病気で亡くなって」 家族構成が分からないでいるうちに、もうひとり少女が登場する。「>最初は喉を通して生きる世界に声を発していたのだ。」 まだどこの誰とも分からないうちに詩的表現をされても、詩情のやり場に困る。

子供を拾うあらましは、過去にどっぷり視点を据えたり未来から振り返ったり、成長した娘のコメントが挟まったりまた揺れ戻ったり。最後の「>いつも光に満ちあふれた朝はその日から少しずつ変化していた。」は足場が全く分からない。いつも光あふれていたならすでに幸せそうだけど、さらに変化してどうなるんだ。「変化していた」という過去進行の響きのせいで、変化の進行を見守るための新たな視点が登場してしまう。もうシメなのに。

画面をこれだけ血で汚しておきながら、後の始末を子供の無垢さに丸投げして終わる。物語の流血は、キャラの不幸を演出するためだけのものであってはいけないと思う。ハッピーエンドがあれば帳尻が合うってものではない。出血に見合った存在感ある物語で、読み手の造血細胞を活性化させ、失った血を取り戻させてほしい。主人公を悩ませた愛への恐れはいつの間にか癒され、魔物も出ないことになって、希望にあふれて終わるのは勝手だが、読み手の足元は血でびちゃびちゃだ。

F11  あわい物語
ぽつぽつと挟まるセリフは子供口調、天使/死神の方も子供に合わせた易しい語調なのに、「>思考しようと」「>義希は心得る」「>懸念」など、地の文ばかりが大時代に物々しい。一本道のこの空間で起こることといったら、歩く、止まる、話す、くらいなのに、「>相手の鷹揚な態度と、自分の立ち位置がわからない現状に苛立ちを覚え」「>しかし確実に笑みこぼれて」など、必要と思えない分析でいちいち立ち止まる。「>天然パーマであろう金色の巻き毛」この状況で人工パーマと思う方がおかしい。

「>開き直るのは実に簡単だった。」「>うなずき返すのも、たやすいことだった。」 ぽんと心を決めた、という事実ををこんなに何度も確認されると、何か重々しくする意図があるのかなと思ってしまう。

「>義希は、鼻白む。」「>ほぼひとり言のようにあぜんとつぶやく義希」など、セリフから類推できることはすっ飛ばして話を進める腰の軽さがなく、例えばセリフをすべて取り払っても成立するくらい、地の文が四角四面に状況とその理由を詰めてくれている。しゃべり言葉が混じらない方がいっそ違和感がなくていいかもしれない。

「>義希は、重たいまぶたへ、持ち上がれと懸命に指令を送って、目を開いた。」 苦労して目を開ける様子が、「まぶたへ指令」という大がかりさにピッタリと重なる。この文体はこのクライマックスで使われて初めて生きると思うのだけどどうだろう。

「>そう、自分はまさに死神なのだろう。」 「自分」は削れる。「>罪の重量を咀嚼」 「軽重を斟酌」?それも変か…。

「>だが、ほいほいと誰しもを天国へ導いてしまえば、罪深い者まで楽園へ素通りだ。だからといって、誰も彼もを地獄へ突き落とせば、地の底はあっという間に死者で溢れかえってしまう。」 「>どちらへ進めるか判決をくだす」仕事をしていると言ったのだから、そんな事態は起きないはず…。文頭の「>だが」は何を否定して?

「>ついうっかりこの、生死の狭間に迷い込んでしまった者を、現世へ戻すかどうか、判断する役目も、担っている。」 義希が現世に戻されたのは、まだその時期ではなかったからなのか、いいことをしたご褒美なのか、はっきりしたものが届いてこない。善行を認められたら、最上の待遇は天国行きの許可じゃないのか。

F12  誰そ彼は
理不尽な教師のエピソードが放置されて終わる。理不尽な誰かに理不尽なことをされる、というお話では、理不尽な中にもそれなりの理があってくれなきゃ困る。この先生にはおかしいことがありすぎる。通り魔よりわけが分からない。いや、現実にはそういうことがたくさんあるが、普段見えないからくりが小説の中では見えることになっている、そのためにお話は語られるのだと、私は思いたい。図工の授業の思い出に、主人公が歪んだ解釈を施してる、とかの方がずっと落ち着く。青と白だけで濃淡表現をしてみましょうという授業だった、とか。描き損じを先生のせいにした、とか。「先生が塗っちゃったんだもの、わーって」と懸命に語る感じは、自分の子供時代のウソを聞くよう。「私は悪くないんだもの」と、被害者立場を固めたいときの口調に似ている。主人公はまさに被害者なので状況に合致してはいるが、本当の被害者が被害者意識を持ったところでそれは当然のことだ。小説としての狙いがどこにあるのか分からない。通り魔の正体が「逢う魔が刻」効果によるひとでなしだったとして、何がどう落着するのか。犯行時刻が朝でも昼でも、通り魔は被害者にとってひとでなしに決まってる。

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