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  管理人・歩く猫 これっぱかしの宝物について。真田丸とネット小説など。ご感想・メッセージなどは拍手のメッセージ欄でも各記事コメントでもお気軽にどうぞ
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感想スタンスは、「私の目にこのお話がどう映ったか」のみをひたすらお届けする、というものです。読み手本位です。辛口まじりですが、「勝手なこと言ってるなあ」で片付けていただけるよう、ちっちゃい自分を腹の底までさらして参ります。ネタバレあり、引き込まれた作品ほどいじり回したいので、何につけしつこいです。

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G01  柵の向こう側へ
不思議な生き物レクスの描写がきれい。「>レクスたちは太陽の祝福を受ける生き物だから、朝は早い。日の出とともに活動を開始する彼ら」で、光を軸にした神獣的イメージがまとまりかかったが、「>厩舎にたどり着いたエヴァが、ランプに灯を入れ」てしまい、がっかり。「>太陽の祝福」とまで言った設定がなんだか色褪せる。人工の光を嫌うレクスのために作業は無灯火で行う、とかの方が存在として神々しく、助けに来てくれる後段の有難さも増すと思う。

音楽に縁遠かった人の棒立ちの反応が好き。「>エヴァはあまりに突然のことに喜び方もわからずに呆然としていた。」「>今までの日々の暮らしの中で、ほんのわずかな感情の起伏だけで生きてきたのだということを、初めて思い知った。」など、その場にいた人の心の動きとして嘘がない。宴や演奏の描写は説明口調で済まされるが、画面に音楽を鳴らすのが目的のシーンではないのかも。

人物のセリフに味わいが薄い。道端で口上を述べる宣伝男の「>ひょうきんな言い回し」はセリフ中に見当たらないし、アルフォンソの下品トークにもひねりがほしい。割って入る笛吹き少年はもっとトンチを効かせる見せ場だった。「>旅芸人に見られて旅先で噂が広がるのを恐れたのだろうか。」とあるが、やりたい放題のアルフォンソにしては急に自制が効きすぎている。

エヴァひとりに管理が任されているにしては、彼女の仕事は単調な下働きでしかない。「>厩舎の鍵」というが、エヴァの仕事なら個々の馬房の鍵がなくてもできる。厩舎から引き出して運動させるなど、レクスを外へ引き出す権限は別格扱いになっている、という方が、人の命より貴重な軍馬としては自然だ。馬丁や調教師など、よってたかって世話してる色んな担当者がいるはずで、彼らを束ねるのが「>見回りに来た監督官」のはず。彼があちこちの鍵を持っていないわけがなく、管理責任を問われるならまず監督官ではないのか。レクスの貴重さと実態に描き込み上の開きがあり、エヴァがはまり込んだ窮地に心がついていかなかった。濡れ衣は置いといて、アルフォンソはどの鍵を使って厩舎を開けたのだろう。「一個しかない鍵」とするよりは、「使える鍵は色々あるが、一番無力なエヴァが責任を押し付けられた」という方が、領主の無体、コミュニティの暴力としてすんなり呑み込める。

「>泣いているのか?」「>耳に響いた優しい囁き」 ここはハナから「おい」とか憤って登場しておかしくないと思う。この後も地の文が「>激しく頭を振った。」「>声を荒げた少年」と怒りを表現したり「>言い聞かせるように優しく囁く」となったりするが、少年のセリフ自体は無色透明で、感情の動きが見えない。

「>少年がエヴァの両手を縛る縄を解いた。」 うーん、そんな簡単な。処刑の一環としてさらされ中の罪人なのに。それよりもっと早くレクスを村に誘導してくれてれば、騒動も収まったかもしれない。見つけたレクスはつまんない領主に返還するよりエヴァもろとも盗んで逃げたかったんだ、という自由民ならではの爽快な動機が示されていたら素敵。

G02  ノストラダムスによろしく
「>ほぼ自分の担当業務と化してしまった回覧板運び」 いや、喜ばしい楽チン業務だと思う。地の文がかばってやるとするなら、内容が「劇薬処理」とかでやっと釣り合いが取れる言い回し。回覧板運びにうんざりしているのは凛の主観であって、三人称の地の文には馴染まない描写だと思う。

「>反応は多種にわたる。」 多岐にわたる、の方がしっくりくる。私は。「>予測不可能な摩訶不思議の未来」 もしかしたら「摩訶不思議」は削り忘れかも。削るとスッと読めるから。

「>凛は予言を信じなかったが、級友たちは冗談半分に「終末の日」の過ごし方をかしましく騒ぎながら話し合うところ、満更不信だけが胸中を占めるわけでもないようだ。」 「冗談半分」とはっきり言ってしまっては「満更」や「わけでもないようだ」などでぼやかした意味がないと思う。うねうねした語り口は好きだけど、「凛は予言を信じなかったが、」と文頭短いフレーズで方向が切り変わるのは流れを寸断する。次文の「所詮」で結局級友たちと立場を同じくするのだし、まとめてくっつけてしまったらどうだろう。⇒「予言を信じていなかった凛とてそれは同じで」

「>死期を受け入れた人」は、「>ある種の前向きな諦め」を呑み込むのではなく、「前向きな気持ちを呑み込んだ結果、諦められる」のだと思う。

「>目標はここから徒歩三分の家にいる。」 ターゲットロックオン!てな言いっぷりが好き。しかし同じ段落中で「アイツ」だったり「そいつ」となったり、一人称との線引きが曖昧。というか「>目標」や冒頭からの「>担当業務と化してしまった」や「>十六歳の少女は~その計画に飛びついた」など距離を取った間合いは、完全な一人称の中で初めて生きる味付けなんじゃないかな。

「>龍がそれを望んでいるか、なんて、考えたらすぐにわかることだ。」 答えは自明のこととしてすぐに改行してしまうが、私はわからなかった。告白をためらっているという情報だけが何度も繰り返され、龍がどう出るかという展望については、一人称と三人称がグルになって論点をごまかし続ける。「アタシなんて絶対ダメ」という乙女の思い込みなのか、客観的な事実なのか、曖昧なまま話を進めるためには、三人称の皮をかぶった(突き放したような)一人称がふさわしい。今は、一人称が主観の枠から漏れ出しちゃってる三人称にすぎないと思う。告白の結果すべては乙女の思い込みだったわけで、煙幕のような独白を脇で補強した「凛は」という主語が詐欺っぽく思えてくる。

「>今日が最後なら、いくら臆病者のあたしだって、これくらいの勇気は奮えるんだから!」 長い逡巡の帰結がこれだが、今までの文脈を踏まえた部分がどこにもない。世界が終わるというのは思考実験としての単なる「if」だったはずなのに、「>冗談半分」どころか揺るぎない大前提として後段に突入する。「終末の予言なんてやっぱり嘘でした」となった次の日についてはもう怖くないのだろうか。進路が違うと分かった時点で、「世界の終わり」のように告白できたはずとも思う。

「>往生際の悪い自分を責めながらも突き放しきれなかった、幾年分もの陰湿な夜を越えてきた」 大体これまでに述べられていることだし、章シメのテンポを削いでまで言う内容じゃないと思う。

体現止めで走馬灯のようにアルバムがめくられる。スパンが長すぎて、本当は視点変わり、龍が盛大に回想を始めたのかな?と確認しながら読む作業。パンツ見えそうで勝負かどうか気にする高校生は発想にあまりみずみずしさがない。夢のように現れた龍とのやり取りは「>これは龍なりの困っているという主張が混ざった促しだ。」など、互いに暗黙の了解事項として扱うことが多すぎ、部外者は置いていかれた。

「目標」とのサシの対話が始まると、一人称大バクハツ、「>わざわざ彼女ができた報告ですか、それとも振られた慰めが欲しいんですか。」など、主人公の視野がわざとらしく一点に向けて狭まるばかり。この目隠しぶりはこの先「思いもよらぬ」恋の成就があるんですねと斜に構えて読んでしまう。「>この場所このタイミングでそこまで言わせるか、と憎々しげに」という客観視は一体どこへ収まるべきなのか。分かってないのは凛ばかり、とトボけ続けるにも限界が来て、「>凛、今日最大のチャンス逃したよ。誰かが笑いながら言った。」 ようやく地の文と凛が決別した。遅いくらい。「>今から約五百年ほど前、」という繰り返しと小さな会話は好きな余韻。

G03  ――み・ち―― 注
世をあざむく偽名を考えながら、世間を呪詛する女のブツ切りモノローグ。遠くにビル郡が見えているが、彼女の人生はそことは関わりがないらしく、呪詛が向けられる対象はもっぱら男の同居人。「世間イコール彼氏」という視野狭窄をあぶりだすような自覚的な切り口がほしい。部屋の紹介に次いで彼女の名前が並べ立てられるので、彼女が借りている部屋のような印象ができあがってしまうが実態は違う。「>この部屋の主人」の登場で、もっと家賃とか家具とか生活を強く出すべき。今日食べるごはんを買ってくるのも多分男だ。「>一人」「>別れる」「>サヨナラ」と言葉では言うが、「出て行く」という具体的な行動計画はなく、部屋は匂いまで彼女に馴染んでいて、根無し草の「ひとんち」感が感じられない。

「>ちょうどそうできるように壁を切ったかのように。」 省略されている文末は前の文の文末「>ちょうどいい。」であるはずだけど、「ちょうどそうできるように壁を切ったかのようにちょうどいい。」になってしまう。「~壁を切ったかのようだ。」を言いたいのだと思う。絵になるカップルになることを投げている乾いた心象が続くのに、「>君を本気で愛してみるのもいいかもね」と意地を張るセリフには少し潤いがあって場から浮いている。「>私に愛があればだけど」も切捨てセリフとして空回り。

未来あふれる子供を見て嫉妬をつのらせるシーンになると三人称から一人称が沸き立ち、リズムもギアが上がる。本屋に檸檬を置き、それが激しく爆発することを妄想し、でも妄想にとどめて去る…みたいなことだろうか。内容は露出狂だけど。衝動の醒めるきっかけが良心でも理性でもないのは面白いが、では何なのか。マッパの自分ってのはとても簡単に「滑稽」に転じるマヌケ要素なのに、主人公は自分の独白世界における裸身(「鉛のよう」と言葉で形容される)しか見ていないらしく、物足りない。彼氏の一番無防備な顔を笑っておいて、自分についてはどんなときもシリアスにとらえてあげる。三人称であれ一人称であれ小説の役割は、この「自分だいじ」な一線を突き崩すことだと思う。

性行為が包み隠さず提示されるが、「そうするだけ」「ただそれだけ」「それでいい」「文句はない」と、「自分は全く揺るがない」と言い張るために、せっかくぶっちゃけた言葉の魔力を大慌てで打ち消してしまう。結果プラマイゼロのような印象。何の破壊力もない檸檬を、そうっとそうっと爆発物のように扱う馬鹿馬鹿しい遊び心のようなものがあれば、依存症のような日常へ落ち戻るエンディングにも余韻が出たはず。

子供が帰ってしまうと、女の呪詛はブツ切りに戻り迫力を失う。恐ろしげなドブ川はクサいだけで何の支配力もなかった。女は日がな寝ているだけのようにも読める。ストリートミュージシャンの彼に貯金がすごくあるとか、女として誇りのありかを見失うような仕事をしていたとか、囲われている家出少女だとか、そこそこ年増だとか、下衆に勘ぐれる断片を匂わせておくだけで、読み手はしっかり下衆に勘ぐってくれると思う。急にすべてが色褪せて見える瞬間というのは誰にもあることなので、そこから共感を呼び起こすことは可能なはずだけど、読み手が我が身と引き比べたり、状況を重ねたりするためには、文章の裏側へ深く引っぱり込まれる必要があり、そのためのフックが足りない。ここでは単にマンネリ期カップルのうつスパイラルにも見える。何度か読んでうっすらしたものを固めることはできるが、初読で引っかかってくるものは少ない。

「>手ぐらい振り返せよ」 やさぐれている。とことんやさぐれている。この肉声を環境にびたりと収めるために、もっと人物背景を描き込まなきゃもったいないと思う。

「>気持ちが悪い」は生きている証拠で、体が鉛や水銀に変わるという無機物幻視の邪魔をしてしまう。エンディングに向けて画面がカオス化するのは迫力のようなフリもできるけど、「未整理」の方が印象として強い。「寒い」という心情が登場するが、「今寒い」だったものが、「凍えてのたれ死ぬ将来的な不安」に何となく横滑りして終わる。鉛と化した体がまだ生きているのかどうか、痛みでもって確かめたい、なら分かるが、「寒い」「凍える」を力いっぱい叫ぶ死体にはあまり不安を感じなかった。元気じゃん、と。

空白には、戻りたくない本来の名前を入れればいいのだろうか。「凍えるとナニカに戻る」という唐突な法則に前フリを作っておくか、「読み手が自由に空白を埋めてください」という提示の仕方に、あと少し工夫があれば。いや、単に危険な伏字?

G04  道端の石 注
「>女」という呼称にずっと違和感があるが、「>幹部」「>医者」などと同じで主人公にとっての単なる人間の記号ということだと思う。私は「子供」とかがしっくりくる感じ。英語なら「キッド」?「ガキ」では多少感情がくっついて邪魔か。「>警察」もその類の呼称だと思うけど、一般には組織の権威を表すために記号化されているような言葉でもあるので、もうちょっと個人を掃いて捨てるような語感があれば。世間一般で「>女」と言われるときに立ちのぼる色香のようなものを、主人公は言葉の内に感じていない。人間はどれも石、便宜上色分けするなら性別くらい、と言うための挿話としてもう一度「>道端の石」を引っぱってもいいかも。

「>奇妙な椅子」というとアメリカかもしれないが架空の未来でも構わない。親殺しや自分殺し、擬似親娘などに抵抗を感じつつ読み終わってみれば、国や時代を特定させず、コマの並びだけで語るストイックな構成に胸躍る。血まみれの展開からぽんと呼び戻されたセラミックのナイフが一転、乾いて清潔で真っ当な機能があって、道具としての変身に目がくらんだ。「羊たちの沈黙」でレクター博士が脱獄(念のため反転)するとやっぱり爽快というあれだなあ。「お父さん」を言い続けた少女の知略とほんの少しの感情のかけら。ナイフを渡す手から体温が伝わる。博士とクラリスの指がすらっと触れるシーンの、どうにも説明のつかない詩情。

人食いハンニバルにどうして魅力を感じてしまうかというと、次元の違う怪物思考の中に一本太い哲学が通っていて、それを頼りに彼の全体像を一気に理解できる瞬間があるからだと思う。「>道端の石を蹴るのと同じだ」という主人公の殺人哲学には確固たるものがあるが、「>俺は普通の人間ではなかったのだ。」という割に、「>俺は誰かに喉を掻き切られるか心臓を貫かれて死にたかった。」など、「自分の望まない方法での死から逃げたい」という心情は、常人の私も普通に理解できてしまった。親殺しや動物を日常的に殺す少女とのやり取りまで芋づる式に突きつけられ、「まだそこ共感したくない」と拒絶反応が起きたのだと思う。少女に自分殺しを託すにあたり、当人のモノローグであっても本意を隠しておくことはできると思う。仕事の後始末を頼むような単なる手続きとして「もしものときは俺を殺せ」を言わせておくことができると思う。「逃げたがってる」「怖いんだ」という本心を、土壇場で少女にだけ見抜かせることができると思う。何も知らない動物を殺すのと違って、怖がってる動物を多分彼女は殺せない。人間は道端の石じゃないと、セリフじゃなくそこらじゅうに響かせられる。と思う。多分…。「>殺す価値」を軸にしたやり取りはどこででも聞けるような言い回しで、この世界この二人だから言える言葉ではあまりない感じ。「>手を汚す価値」という別種の耳馴染みも入り混じる。「>けれど、抵抗されて怪我をすることもある。」という魔術的転換から始まるクライマックスの勢いを削いでいる気がする。

G05  素晴らしきベタな日
楽しい珍部活に翻弄される主人公。「>ぬっと顔を出したのは坊主頭のマッチョ男」 この登場のために、扉うんぬんの説明があったのかもしれない。ノックして応答を待つとしても、部員なんだからすぐ入ればいいし、用事もわざわざ戸口へ出て来てもらう必要のない、室内で普通に切り出せる話だった。前の二行「>最近めっきり開きが悪くなった戸をノックする。~その少しだけ開いた隙間から、」は不要だと思う。

「>今日は野球部は?」「>自主練」 これだけで、「>丸坊主」の部長が野球部とかけもちだと分からせようとするのはちょっと無理では。野球部がいないときだけ部室が使えるとか後で説明があるのかな、と読み手は首を傾げ、そのまま忘れる無駄な要素。いや単に「かけもち」が私の誤読?

「>ついに「パンを咥えて『ちこくちこく~』と言いながら走ってきた女の子」に、曲がり角でぶつかってしまったのだ。」 ベタ研の日課要素に登場させておかない方が、「いよっ真打ち登場」と思える気がする。あまりにあり得ない高等ベタゆえ俺も実在は疑っていたあの!なんて部長がアタフタすると楽しい。

フラグの説明から「>見事な死亡フラグ」への流れがきれい。素敵にばかばかしいなあ。

何かと関り合いになっちゃう気になるアイツが「タイプじゃない」。これも王道では。まだ中盤なのに、「>「仕方ないな。好みは人それぞれだ、人がどうこう言うことじゃない」/ そういうところは物分かりのよい人で助かった。」なんて、引き下がってる場合じゃない。ベタと王道でガチガチに固めようよ。ベタでしか動かない部長なんだから、主人公を勧誘する出会いのシーンにも王道要素がほしい。「押しに弱くて不本意な部活に引きずりこまれる新入生」が一番似合うのはそこのキミだ!とか。成り行き任せの言動は巻き込まれキャラとして正統に王道なのに、主人公のベタさを拾ってくれる人が誰もいない。痒いところに手が届かない感じ。

「>部長と僕が並んでいる姿は、きっと熊とアリほどの違いがあっただろう。」 これまで部長の巨体や異相がたびたび描写されてきたために、惰性でそういう文脈になってるだけのような気がする。展開の中で機能していない。ほほえましいな、と思えばいいのだろうか。何のために?

「>紺色の襟とスカートを持つ可愛らしいデザイン」 デザインに「持つ」というのはちょっとヘン。

「>「って転校生! おい、何やってんだ!」/「何っ!」/ 部長の声が背後から聞こえた。」 そりゃそうだ。彼女はまだ道路の真ん中にいるだけで、トラックの登場は数コマ先だ。「道の真ん中に転校生」を見ただけで「>凍りついた」上、誰より早く駆け出した主人公は、かなりベタ思考に侵されている。ものすごく交通量の多い道路で、ちょっと車が途切れてもすぐに後続が来るだとか、後付け説明でもあれば。思い込みから始まったことを見ないフリして進むせいか、この先とてもギクシャクした交通事故展開になる。「あ、トラック」と言って転校生が自力でたったと歩道に戻ることはない。これを「ベタ」で済ませていいものか。「あの時にはトラックもかなり減速していて、」というフォローは楽しいので、「危ない!」という瞬間にやけにたくさんのやり取りができたことについて、後でひと言触れてあると落ち着く。

「>いや、その台詞自体死亡フラグ臭いし!」 うーん、そうかな。突っ込み役としてハリキる余り結論を急ぎすぎている。これは、ベタを構成する要素に「ベタを見越して行動する人間」までも含んだ、進化形ベタだと思う。まずそこを踏まえて話を進めないと雑に聞こえる。

「>それ以外である部長は想像できないし想像する気も起きない。」 「結びの勢い」としてこう言っているだけのように聞こえる。すでに目の前に、「ベタだけでは処理しきれないものがある」と打ちのめされている部長の姿がある。どんな状況もベタで押し切るのがあるべき部長の姿で、「>漫画やドラマならカットできる場所だろ、そこは!」と現実に対して負けを認めた部長は、いわゆるいつもの部長「以外」だと思うのだけど。想像もしてなかった素の姿にふとほだされる、エピローグフラグが進行中なのに、語り手がそれに気づけていない。「>ベタって、ほんとは普通のことなんスかね」は好きなまとめ。

「>何を言ったところで無駄に決まっているじゃないか。」 これは「>ベタって、ほんとは普通のこと」と部長の信条に同意したばかりの主人公にはそぐわない言い方だと思う。まるで部長が「死亡フラグ立ててない奴が一緒なら死なないという願掛け(?)を実践するために一緒に轢かれてやった」と言ったみたい。違うよね。「>む、すまん、無意識に飛び出していた。」んだよね。「>ほんとは普通のこと」である人情が発動しただけなんだよね。「ああ、もうこの人は!」というエンディングトークに持ってくために、色々力技でねじ伏せている気がする。

G06  深紅の森
森をさまようトレジャーハンター。森の主によって厳重に管理された供給と、陽炎の樹という本名(?)による知名度の高さが結びつかない。「>陽炎の樹でしか治せない病気」という診断は、陽炎の樹の現物をしっかり研究しないと下せないはず。「頼みの綱はもう幻の万能薬くらい」というアバウトな不治の病でも、話の勢いで人喰いの森に飛び込んだムチャは生かせると思う。森では邪心のあるなしをテストされ、答えを間違えるとご褒美はもらえない。「>生きて帰ってきたのは数えるほどだ。彼らは皆伝説とまでなって崇められている。」とあるので、生還者は森のシステムについて口をつぐみ、万能薬もよい目的のためにしか使われないはずなのに、「>どの薬屋にも陽炎の樹は品切れ」というとたまに入荷があるような口ぶり。曇りない動機で薬屋に卸したっていいけど、「>高額」ということは誰かが儲けているはずで、何だかモヤモヤ。

「>宿屋の親子がどんな顔をするのか、それを想像すると怖くなった。」 かっこつけだ、と自分の弱さを見切っている人には馴染まない物言い。今思い浮かべるべきは失敗したときのシミュレーションではなく、病に嘆く親子の心細げな姿だと思う。

細かく切ったリズムが読みやすいが、本当に細かい動作の連続になると、描写がダブり、流れが止まる。「思わず」「一瞬」「不意に」など瞬間に関る単語でよく目がつまづいた。「>思わず進み続けた足を止め、」 歩みと停止、「思わず」やってしまった動作はどっちだ。 「>その言葉でフォルスは我に返ると、思わず少女を凝視した。」 呆けているあいだずっと見つめていたはず。 「>疲れているせいか、端的な答え方しかできなかった。」 端的は手短なさまを褒めるときのニュアンスだと思う。 「>ここに陽炎の樹は実る」 果実かと思う。 「>自分の常識なんて、世界が変われば通用しない。」「>受け取っても?」 ここというとき謙虚になれる柔軟さに好感。

初読の印象はあまり「>深紅の森」じゃなかった。森が赤く変化して以降「赤」が登場するのは「>赤い視界の中、」くらいで、すぐに白になったり金粉が舞ったり。見えるはずのものへの音声ガイドが足りない。「>貫禄を持ち堂々と聳え立っていた。」 「ここ」と言われる前にもう見えていなきゃおかしい巨樹。

「>その奥から、光が自分を待っているかのように存在していた。」 クライマックスへの道筋なのに、「光」という単語に光を感じない。文末で受けるのが「存在」という何でも使える万能ワードだからだと思う。


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