[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
本作を書くまで知りませんでしたが、手話には「日本手話」と「日本語対応手話」があり、両者は言語として全く別物なのだそうです。
NHK講座などで見かける、「手話と同時に口も動いている」のが「日本語対応手話」。そのまま文字におこせる体裁の文章になっています。
「日本手話」は、私の理解としては「めちゃくちゃ速いやつ」。てにおはなどの助詞はなく、時制や構文などはそれ専用の手話単語で表現されます(多分)
「昨日家に帰った時」という話を始める際、「日本語対応手話」も「日本手話」も「家」「行く」など形で表す単語は同じ(違いはあるかも)ですが、「家、行く、過去」をポンと置けば前フリが済む日本手話は、直感的なおしゃべりの生理に合っているのだそうです。
「ちゃんとした手話」はどっちか、という論争があるそうで、「日本手話では明晰な文章力がつかない」とか「対応手話は情報量が少ない」とか、教育の現場で特に主張が異なるようです。手話通訳の方がブログで「対応手話をずっと訳していると疲れる、ひらがなばかりの文章を読みくだすみたい」みたいなことを仰っていました。
一般的な質問サイトで見かけた質問に「手話画面に字幕もついてるのはなぜ?片方あればいいのでは?」というのがあり、「字を追うのが得意でない人もいる。手話では確認しきれない固有名詞がある。両方を補っている」みたいな感じの回答がありました。
「字幕を読めばいいのに」と思っていた私でしたが、そういえば洋画の吹き替えと字幕では楽しさが違うなあと、そのへんから「いろんな手段で情報がやり取りされる」ことを連想したように思います。
お通夜でしーちゃんが使っているのは「日本手話」。しーちゃんママの訳文がゴタゴタなのは、「対応」してない文章を訳すから。作業としては、外国語の同時通訳と同じなのだと思います。口語なんて文法メチャクチャのまま進むものだから、おしゃべり本来のスピードで話題についていけるメリットのが大事。
手話通訳者の自負があるママは、「字幕を読めば」という一般の風潮から娘をかばう気持ちから、「字幕ってそう万能じゃないんですよ」が口癖になっていて、「だからサイレントがいいのよねー」と笑顔で着地したつもりが、反抗期のしーちゃんは「つまんない映画はいくら理解が楽でもつまんない!あたしは面白い映画を観てるだけ!」と吠えたんだと思う。
どちらの手話も身につける苦労は同じで、唇を読んだり発声したりする「口話」も、助けがない状況を想定しての勉強なのだと思います。でも「聴者の話が分かったってそれが何」と思っていたしーちゃんは、「将来どこで使うんだ三角関数」みたいにイヤイヤ勉強してた。「おばあちゃんの話は面白い」がとっかかりになって、「>キーパッド使用不可」の宿題に取り組んだのかなと思います。