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  管理人・歩く猫 これっぱかしの宝物について。真田丸とネット小説など。ご感想・メッセージなどは拍手のメッセージ欄でも各記事コメントでもお気軽にどうぞ
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ネタバレ・辛口ご注意ください。
作者さまの心情を切り捨てることがあるかもしれません。
でも小説を切り捨てることはしないと誓います。
納得行くまで向き合います。
あくまで私の納得なので、小説のためになるかどうか、誤読がないかどうかは分かりません。

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A01  弟

思い込み男女のすれ違い。登場人物と地の文の距離感も含めて楽しみたいと私は思った。すれ違いは俯瞰が楽しいので。

「>少女めいた、甘ったるい印象を受けるが、これでも佐藤より年上だし、部内でもしっかりもので通っている。」
まだ導入で地の文の立ち位置が曖昧なこともあり、甘ったるい印象を「受ける」のは佐藤だし、「これでも」は佐藤の目に映るものを一緒に見ることになるし、兄さんズへのふてくされた態度も佐藤ひとりのもので、読み手の私はずっと佐藤のインナーワールドからお話を聞いていた。そこへ、
「>美緒は不自然に固まったが、佐藤は気づかない。」
と佐藤の内心に不自然な覆いがかけられる。マジシャンがタネの仕込みを始めるところに出くわしちゃったような。

「>憧れの浩一と一日一緒にいるのは嬉しくも疲れるが、佐藤とならば程よい距離で楽しく過ごせるから。」
ロマンスのあやのようなものの少なさ。美緒の雑感で恋情の説明が終わってしまい寂しい。「内心に密着できるから」と地の文が簡単に答えを言ってしまう感じ。

「>よく気をつけてみていればわかる。よく気をつけていないと、気づかない。」
少しでも会話をすれば「この人どんな考えをする人かな」と気をつけてみることはあるわけで、少しも会話をしてなさそうな浩一と比べた上での「中身のある人」だ、という見直し方は、小説のラストとしても、女心の決着としてもピンと来なかった。

A02  碧の空

「>馬鹿って思う方が馬鹿なのだ。」
そうだっけ。子供の口げんかでは、馬鹿って「言う」方が馬鹿、つまり安易な言葉で安易に人を罵る行為を「馬鹿のすることだよ」と言ってるんじゃなかったっけ。何かを見て「馬鹿だー」と思うことは、主人公が言う通り誰にも止められないし、実効ある戒めでもないような。エデンへの感情「>馬鹿でかわいい」を共鳴させるための装置とされてる感じだけど、私はもじゃもじゃ考えていたせいかついて行けなかった。

「>エデンは平均身長の高いこの国では小柄な方だが」
高いとか低いとか、体格が見劣りとかシーナが見下ろされるとか、短いスパンで比較の基準があちこちする感じ。

楽しい異世界和室。「>もともと洋間のマンションに住んでいた」シーナがどうしてディープな茶の間を紹介することになったのか、それが採用されちゃったのか、クスクスするための梯子段がひとつふたつ抜けている感じ。のぺっとした現代洋間は、装飾たっぷりな宮殿の住人からしたら十分ウケそうでもあるのにな。

「>これからその輪の中に入っていけるかなんて考えれば不安しか湧いてこない。」
浦島太郎のようにとんちんかんな時代に戻されるのでも、高校生のまま翌日の朝目覚めるのでもなく、七年経った今の姿で、七年経った故郷に帰ることを、疑っていない様子。魔法通路みたいなものであっちとこっちの時間が同期されてるのかと思った。「もしも帰れたら」を具体的に語ろうとしているのは、「>それでもシーナは、帰りたい。」の音量を上げるためだと思う。帰れた場合の不便を数え上げることで、今の暮らしに満足せよと自分に言い聞かせる方便だよね。ここが横すべりして、「帰ったらどうなるだろうという不安」を実際にシーナが抱いてることになっちゃってる感じ。「高校中退は困るけど空を見られるなら我慢しよう」という小さい取り引きが成立する局面じゃないのに、それと引き換えにしても帰りたい、という強調が誤作動しているような。

「空が違う」「色が違う」と本能でシーナが叫ぶ帰郷願望は、「浦島太郎とか脱力の夢オチとかどうでもいい。帰りたい!」なのだと思う。「>永住してしまった方が」など、迷って選ぶ権利があるみたいな響きが放置されていて違和感。「>秤にかけるだけで苦しくなる」のは、どっちも大事で選べないからというより、天秤に乗せようにも乗せられないからだと、私は受け取っていたので。

帰るのは明日かもしれないし、何十年もそのままかもしれない。分からないことは一旦置いて、仕事や生活に集中している設定がこまやか。この生活がいつ乱暴に分断されるか分からない寄る辺なさは、「自分はいつ死ぬんだろう」とか考える時の漠然とした恐怖と普通に似ている。実際に異世界トリップしちゃった主人公の感慨がそこへ着地するとしたら面白いなあ、と思いながら読んだ。

「>あんな色鮮やかな世界で『灰色の』とか。どんだけぜいたくなのよ。」
浪費した時間を悔やむ時に誰もが思うこととして共感。心の空に色が定着していくゆっくりした速度が心地よかった。

A03  光り輝く風景

「>そんな、まさか……」
そこまで驚愕の事実が告げられたっけ、と見回すも分からず。続く数段の主人公は、先輩の発想に驚いていたはずがいつの間にか「>現実もそれほど鮮やかには感じない」という話の内容にも驚くことにしたような。どっちだ。

どっちなのかを言おうとしていないのが問題かも。「そんな深刻方面に行くのやめませんか」なり「年とると現実が色あせるんですか」なり、会話のボールを渡す展開があっていいはずなのに、「まさか」を言ったきり主人公はモノローグに沈む。「万事鮮やか、若いなぁ」というからかいがピントをはずしてるように見えたのは、主人公が先輩から会話を引き取っていないせいかも。

「>にやにやした顔を向けられ、俺はなんとか誤魔化そうと笑った。
 でも確かに、鮮やかとは言い切れない気持ちが、胸にわだかまっている。」
「でも」と「確かに」がケンカしてモノローグを迷走させる。直前で主人公が何をどっちへ誤魔化したのかが見えないので逆接も確認もしっくりこない。「誤魔化す」のはどうしてだろう。「はあ、そこそこ鮮やかっすよ」と肯定しても、「いや近頃すっかり灰色ですわー」と告白しても、どっちも大して恥ずかしいことじゃないのに。「わだかまる」必要もないような。「ほんとだ、俺も鮮やかとは言い切れませんよ」と軽く言っちゃいけない理由でもあるのだろうか。

読み迷ったまま、「主人公にとって現実が鮮やかかどうか」の検証が始まる。地下鉄のせいにして鮮やか判定を先延ばしにしたり、朝の通勤路は鮮やかであれと祈ったり、そこに大事なものの存在意義がかかってるような焦った語り。いつの間に入ったっけそのスイッチ。
「>須藤さんの言うとおりでした。」
須藤さんが言ったのは「夢が白黒だっていいよ、現実が色に乏しくても不満のない俺だし」という感じ?一般論ではない須藤さんだけの感慨が、主人公にとって急に脅威になった、そのいきさつがよくつかめなかった。

「>彩度のない世界」というせっぱ詰まった表現にハテナ。「鮮やかでない」が「生活に新鮮さがないなー」と愚痴る程度の慣用句であることを無視して、須藤さんをえらくひからびた人に仕立て上げようとしているような。ゲーム好きという共通点でようやく「おじさんにも楽しいことがある」と認められたのだろうか。

「>世界は一つしかないのに、誰にも同じには見えていない。」
それを確認するすべもないはず。自分の世界がどれだけ色あせてるかということは、厳密には確かめられないと思う。おのおのが見ているものを横に並べて比較することはできないから。「>世界がそれなりに鮮やかに見える目」を持てたかどうかなんてどう確認するんだろう。

誰かと鮮やかさを比べることは主人公にとっても重要ではなく、確かな事実は、彼が「子供の頃のキラキラ」を失ったと感じてることだと思う。
「>ジジイになったら、白黒の世界にドップリ浸かっていなくてはならないなんて嫌すぎる。」
などは、主人公が勝手にふくらませた妄想で、自分で作った恐怖と実際の不満をごっちゃにしたまま10cmぐらい浮いたところを走っていく感じ。気になる人に告白という現実的な目標が現れると地面を走り始めたのかな。

自分の中にもともとあった焦りが須藤さんのつぶやきで喚起されたのかも、ということに思い至ったりはせず、須藤さんの人生もバラ色であれと言う幕切れ。主人公の願いが周囲の世界とつながっていない寂しさを感じた。

A04  愛に逢いに

かったりーを言い続ける一人称。たりーめんどーと言いつつ世話を焼く優しさがあったはずなんだけど、自己憐憫が攻撃に転じるキツい愚痴が続き、私は読んでて息つぎポイントがなかった。ティッシュを「>与えた」とまで言わなきゃ晴れない鬱屈があるのかと、孫娘の語りがすっかり暗たんたる響きに。すぐ反省して軟化するので彼女にそこまでの闇はなく、口が悪いという表現が私に合わなかっただけでしたが。

「>頼むから転ばないでね、骨折しないでねと祈る程度はバチも当たるまい。」
よく分からない一文。祈る程度「なら」バチも当たるまい、だったら、転んでほしくないと思うこと自体に引け目を感じてることになるけど、そういう文脈でもないし。

「>来たいって言いだしたの、お祖父ちゃんの十回忌が過ぎてからだもの。来れる日を心待ちにしてたってことだものね」
「>でも、十回忌を過ぎるまで来なかったんだから」
噛み合わせがカチッと来なかった。最初の台詞だけで「十年経つまでは控えた」という意味がある。「コイツ分かってないな」と思うから「でも」となるわけで、翔太は何を根拠に「でも」と補足したのか。会ったばかりの彼が諭すなら、主人公は「お祖父ちゃんと結婚しといて、ひどいよねー」ぐらい言ってる必要があるような。十回忌ってあまり聞かないけど、宗派によってはあるのかな。

お化粧しなきゃと我を忘れるお婆さんの怖さ。理屈が通じないぞまじかーという一瞬、あるわあ。きりっとした頃をよく知ってるお年寄りならなおさら悲し。お祖母ちゃんの錯乱は一時的で、後半はずっときりっとしてくれてよかった。無愛想な孫にも必ず「ありがとう」を言う人。

A05  洗濯参景 -十和と千早-

ワクワクを刺激するタイトル。

「>予想だにしなかった。」大きく振りかぶる語りのテンポ。続く「>心の底から思ったことも。」という末尾に、響きが流れていかない感じ。

「>あたしの結婚式だったのにスピーチのネタにしたあぁあ!!」
彼女の結婚式に彼女をネタにしないスピーチをする方がおかしいような。

「>お後がよろしいようで。」
高座から降りる噺家がこれを言うのは、「次の演者の支度が整ったようなので私などは早々に切り上げましょう」という意味なんだそうです。聞いて「ほー」と思ったもんで言いたくて……

A06  俺と彼女の模範解答

一行をさっと読めるからスピードがついちゃうのだろうか。人が二人しかいないお話なのに、時々考え戻りながら読んだ。
「>で、と今度は俺の番と言わんばかりに眼力を強める。」
「俺」一文字を読みこぼしてしまうと「言わんばかり」が目に入り、態度を客観視してるから小夜子かなと思った。ゆっくり確かめればいいことだけど。「俺」が自分の態度を表現するのに「~ばかり」と回りくどくする必要ってあるのかな。咳き込むシーンで自分を「>物静か」と言ったり、「誰のことだろう」と迷うような単語が使われていた。

「>心というのはどこにもないんだよ。だから色も形もない。無色だ」
大人な解答、という着地になってるけど私はモヤモヤ。心がどこにもないのなら「心の色は?」という問い自体が破綻するような。Sッ気な無理問答ならMによる「ひどいよ」レシーブを希望。

「>なんだその自信なさげな物言いは」
「>仕方ないだろ。お前が納得する答えなんか、俺持ち合わせてねーもん」
小夜子は彼の意見を聞いたのに、彼は小夜子の気に入る答えでなけりゃと思ってる。それは違うぞと小夜子は言、わないのか。あとは二人だけの了解でやり取りが進む。私は入る余地がなかった。

A07  色覚研究所奇譚

「>才は有るが富を持たざる者」
「>能がなく財だけの者」
など感じワルーな隠し味で、語り手への信用がチョンと揺らがされる。ひとりの語りをじっくり聞くことの醍醐味が気持ちいい。主人公の深い部分にあったのは、どぶねずみ色の野望、しかもそれを自分の口で言わされるよ、所長のS野郎め!

「>田舎者の成金にしては意外にも趣味が良い。」
「>上品な青年がそこにいた。」
自分がその人になってみれば、傍で見ていたときほどの嫌悪を感じない、という不思議なリアリティが胸に落ちた。傾きかけた会社を抱えつつも書生に学資援助をしてるということは、父上は主人公を自分の会社で使うつもりだったのかな。脱字や送り仮名ミスで、皿まで舐めるように読みたいリズムがつまづく感じ。

「>とっくに駆け落ちしています」
「>もちろんお嬢さんは認めない。」
お嬢さんとの忍ぶ恋も主人公の思い込みとして解ける。後段、事実のカードを解釈で裏返す時にあらためて復唱があるとちょう好き。しつこくなるかな。

あれっ、元に戻してくれるんだ。望みはひとつ、代償もひとつという縛りが緩むような。ゾワゾワできる着地が決まりまくりだからいいけど。「>お滝さんが悪い病かもしれぬと起きた私を、」で読む目がちょっとつまづく。

A08  歌う青と芽吹く緑

「>な、泣かずとも良い!」
人情ナニソレ美味しいの、とか言いつつ人情あふれる人外。気安く近づくことの許されないありがたーい精霊に、どのへんからアプローチをかければいいか、代々の森林官たちはすぐ分かったろうなー。

「樹公は」「樹公に」という主語が、自分自身を指す呼称のように思えてきてカワイイ。「エルモはねー」みたいな(←セサミストリート)。主観について書かれる「>樹公は判然としなかった。」などが「樹公には」じゃないところがそう響くのかな。

「>代々の森林官が樹公に植えてくれた優しさ」
植えられた精霊。気づいた時にはここにいた、その前は知らない、というすがすがしい自意識。自我を持つ者にありがちな「産まれる前から魂が続いてる」みたいな錯覚がないから、樹公は外部からの刺激や知識に対して素直なんだと思う。それらを「植えられた」ものと自覚できる彼だから、とっても大事にするし、役立てようとする。少女に視覚を譲ることは彼にとって大きな自己犠牲じゃなかったけど、樹公を樹公たらしめているところの想いが込められているだけに、悲劇の展開が胸にせまった。一番好きなのが、「>見えぬままで良かった!」というストーリー上綺麗などんでん返しに、「厚意は裏切られましたとさ」という皮肉な響きがないところ。女の死の報せを受け取ってしまう悲しさ。紅蓮の炎が熱い。

森林官を継ぐ者が現れて、これまでの要素をもう一度味わうからくりになっている終章。冒頭からの流れが全部詰まってるからここを一番分厚く感じる。読んでいる意識の上層で小説が語られ直され、そこを踏み台にしてさらなる展開がひらける。「>俺が言うんだ、できますよ」の反復が支えているのは先の展開まるごとに関わる問いなわけで、読む幸せここに極まれり。「>まさか樹公ともあろう方が、ご存知ではない?」でやり取りされる情感ったら。

A09  蜜色のアトリエ

「>この部屋で音を聞いたのはとても久しぶりな気がした。」
息を詰めた室内。蜜色のみつは密室のみつ。

ひっくり返して眺める砂絵が面白い。ガラスを通したら粒子のデコボコが押しつぶされた感じになって、きっとガラッと見え方が変わると思う。主に絵の内容が説明されるけど、「ガラッと」の魔法の瞬間も語ってほしい感じ。絵画的な手法とか。濡れてるものの表現でも、ハイライトを入れるかずっしり水を含んだ影を使うかで違うはず。

「>片手でシロワの纏められていた髪に刺さっているピンを」
「>不思議そうに自分の名を呼ぶ少女のとろけそうな髪」
密室なのに叙述が遠くから始まる感じで私は集中が冷めた。

「>彼女の小さな唇に自分のそれを合わせる。」
恋愛小説の地の文みたいで(そうなんだけども)、ケモノ感のなさが寂しい。接近トークに我慢の糸も切れ、くっそーちゅーしちゃうからなーと男ゴコロがスパークする瞬間が読めたら素敵。

A10  言祝ぎ

「>同僚が来たる翌月に上司になる。」
「同僚が、」だったのか。何かを端折った言い回しかと思って、「今度私のポジションがいっこ上がる。それは同僚がやってきた翌月である」という意味に無理矢理読んでいた。「>連れを得る」というのも耳慣れない言い方。直後に「妻」があるから妻とは別のナニカかと思った。「連れ合い」みたいな?ひとの奥さんを指すにしては響きがぞんざいになっちゃわないかなあ。

「>無理からぬことだ」
自分について述べる言葉としては違和感があるような。

「>琴香はあまり外で出て来ない。父君である礼真冠が彼女を家の奥深くに隠していると専らの噂である。実際なかなか姿を現さない。」
「あまり」だったり「奥深く」だったり「なかなか」だったり、結局彼女の外出頻度がどうなのか、読んでいて決着をつけられなかった。

「>外見だけでなく、内面にも甘い色がある。」
イメージの中で皮を剥くのが面白い。キーワードとして桃の「花」との齟齬があり、語りがど真ん中へ着地しきらない印象。

A11  月影に色ふ

「>一方、美崎は美崎で」
ちゃきちゃきとカメラが切り替わる。サブ調整室の指示に曖昧なところがなく、視点がどう変わっても見ている画面に混乱が起きない安定感。

「>されど二人のどちらともから一方へ告白をすることはついぞなかった。」
文章に寄り道寄り道するテンポがありつつ、私には意味が喚起されなかった。「どちらとも」が「どちらともなく~する」の用法に引っ張られたり、「ついぞ」は「複数回の機会が想定されている感じ」があって、告白の一回勝負なイメージとケンカしたり。

「>それを知って、正は美崎が何の相談もしてくれなかったことへの憤りと、それよりも激しい美崎の苦悩を何一つとて察することのできなかった己への憤りとに喉を塞がれ、黙するうちに美崎に比べて幼稚で無力な己が情けなく、ここに至ってなお彼女に慰め一つかけられぬ羞恥に唇を凍らせて、ただ隣に並んで歩き続けることしかできなかった。」
ながーい一文を読みながら、私の時間感覚もてくてく歩く彼らと足並みを揃える。「とて」が私には邪魔だったかな。

「>漫画みたいだね」
ありがちーとか成り行きすぎーとか一回笑っちゃうことで、子供はそれが現実にならないよう呪文をかける。子供時代の終焉を拒否するために使ってた「漫画みたい(=やめてよ)」を肯定のために使えた瞬間が、いわゆる大人の階段ってやつだったのかもなあ。

A12  花びら一つ、あなたに

「>この白く縮れたような花びらに、今にも爛れんばかりに伸びた花びらに」
縮れたようで、爛れたようで。特定の花を思い浮かべるシーンなのかもだけど分からず。

「>そんなに聞きたいんですか? 後悔してもしりませんからね。」
「>それでも聞きたいんですか? あなたも変わった人ですね。」
反復であおられるのは、話の続きへの期待と、「そんなに聞きたがるこの人って誰?」という疑問。語り手がそこを掘り下げようとしないことと併せて、解消されずに残った。

「>王子は元気にしていますか?」の答えは得られなかったみたいだけどいいのかな。一人しゃべりをたどる手がかりの置かれ方が、私のツボとは違ったんだと思う。

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無題
こんにちは、楽遊です。覆面5ではお世話になりました。
早速ですが拙作への感想をありがとうございます。
歩く猫さんはいつも鋭く文章を見ていらっしゃるので、覆面作家企画でご一緒するたび、もちろん今回もまた勉強させていただきました。

今作では嬉しいお言葉を多く頂き、特に文章に力を入れていたこともあり、隙の少ないものがようやく書けるようになってきたかなと喜んでいます。
が、『「どちらとも」が「どちらともなく~する」の用法に引っ張られたり、』という点には「なるほど、それはあるなぁ」と頷かされました。その用法を思えば、まとまりが悪くなる点があるようです。『「ついぞ」は「複数回の機会が想定されている感じ」』という点では、“複数の機会があったけど結局できなかった”のニュアンスを“ついぞ”で出そうと思ったものですが、言葉足らずの分もありそうです。
『とて』のような強調のニュアンスを差し込む言葉も使いようによっては邪魔になることは解っているのですが、ここらへんの塩梅は難しいですね。
今回もまた糧として、今後の精進の材料とさせていただきます(^^)

それでは、今回はこの辺で。
失礼いたします(^^ノシ
楽遊 URL 2011/10/14(Fri)23:40:17 編集
Re:無題
楽遊さま


企画おつかれさまでした!拙作にもたっぷりのご感想をありがとうございました。色々な「あ、そうか」があったのですが、ひとまず私につかまえられた「ハッピーエンド」周辺のゴタつきを改稿作業の基点にさせていただいています。ついでのお礼になってしまってすみません!


近代日本文学を勉強されたとのあとがきを拝読して、私が一番好きな部分「>……、ただ隣に並んで歩き続けることしかできなかった。」の心地よさを実感しました。ブンガク香る長文に、自分好みの勝手な単語イメージを語りたくさせる刺激があったのだと思います。さらに「>漫画」という現代っ子アイテムを通した理解が私にとっては面白かったです。


企画の余韻はなかなか冷めませんね。作品や感想を通して自分の中にたくさんの手がかりをいただいた気がします。ありがとうございました!
【2011/10/15 02:25】
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