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  管理人・歩く猫 これっぱかしの宝物について。真田丸とネット小説など。ご感想・メッセージなどは拍手のメッセージ欄でも各記事コメントでもお気軽にどうぞ
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TV放送のブレードランナー2049に今さらハマり、あの壮大な廃墟から逃れられない未来のロサンゼルス市民のようにどっぷり浸りきっています。以下ぬるいネタバレ長文

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 私にとって印象的なのが殺しの場面の克明さ。よきところでカットやフレームアウトになるお約束が発動せず、絶命までカメラは回り続ける。慎ましくカメラが顔をそむけるのはラブシーンもそうだけど、こちらはジョイとデリ嬢とKをふたりきりにしたところでカットだった。いや見たいって意味じゃないよ。殺しは何もかも見せるのに性愛は隠すってどういう線引きだろうと。あ映倫か。見たいって意味じゃないよ。

 目の前のこれは命かデータか、実体か錯覚か、かけがえのない一個体であるための条件は何かを問い直していく中で、バックアップを絶ち「ニンゲンガールみたい!」と興奮したジョイとKのカップルが愛おしくも切ないのは、替えのきかなさを模倣できたとしてもそれはAIか人間かの線引きとは関係ないからかもしれない。機能停止まで判断を保留するだけ。無人探査機はやぶさだって壊れたら死を悼まれることができる。壊れてから分かるなんて、失ってからしか分からないなんて、そんなん悲しいよと言われている気がした。死んだかな?と確かめるような殺しのシーンを見ながら。

 一方で喪失との付き合いが長いデッカードは目の色の違うレイチェルを「レイチェルじゃない」と拒否した。どうして言い切れるんだろう。わずかな色素エラーの出たボディにレイチェルに近似した何かが宿ることは可能かもしれないのに。こんな目の色だけどわたしはわたしよ!と心で叫びながら彼女が頭をうちぬかれたとしたら悲しすぎる。いやレイチェルがどの程度レイチェルか確かめる方法はないと知っているから、デッカードは背を向けるしかなかったのかもしれない。信じたければどんな断片にも彼女が宿っていると考えることはできるから。

 もういない人のデータの断片が残っているという状況で、「データあるなら復帰すりゃいいじゃん!」とあがくか、撤回不能な出来事として受け入れるかどうかが、知性というものの前に等しく現れる試練なのかもしれない。なくした誰かを復活させようとか、自分を世界いち特別な男の子と思い込むとか、「俺たちついやらかすよね」と、人とAIが肩ポンし合うお話だったのかもしれない。

 映画の中でレプリカントらしさが描写されればされるほど、それは人との共通点にすり替わるのだった。たたみ掛けるような復唱反応検査には私もソワソワしてくる。Kは同胞を殺すことに全く躊躇がない。でも人間の殺し屋だってそうだし。

 自分に関係のある人をやっちゃったかな?という疑いが芽生えてようやくじっと手を見たりはするが、その後も追っ手と戦ったり、殺しについて迷いはない。いいんだよ攻撃してくる相手を殺すことには人間だって躊躇しないよと、Kを励ましたくなるのはなんでだろ。

 あとは、自分を後回しにしてグレーターグッドに奉仕できるかどうか? 自己犠牲であれカミカゼ特攻であれ、そういう幻想を受け入れるどうか。できる人もいれば、冷静に計算して「それ大してメリットなくね?」と言っちゃう人もいて、どちらを選ぶかで人間性のあるなしは測れない。旧型たちを率いる首領は自分の目をえぐり取った捜査官のひとりに会ったというのに復讐心を抑え「大義の前にひとりひとりは重要じゃない」と言い切るが、果たしてそれが人間らしいのか。大義とか奇跡とか言葉遣いのネジがはずれかかっている革命組織からデッカード殺しを託されたKが、そういうややこしい葛藤に身を置いたかもしれないことが、私にとって重要。もしかしたら心の中で「危険に飛び込んで助けに行くのがニンゲンっぽいのよ」「特別なヒーローってそうよ」とジョイの幻影に言わせては、ウンとうなずいていたかもしれない。きゅーん。

 油断から尾行をつけられたあのポカを思えば、Kはデッカードと娘を会わせちゃいけなかった。お父さんだよくらいの情緒的な動機で二人を対面させた。人間より人間らしいかどうかにこだわった挙句一個人の生存を軽んじるようになったのが革命組織の旧型たちだとするなら、Kはもうジョイが喜ぶかどうかしか重要じゃなくなっている。それはとても一個人らしいのかもしれない。

 放送枠が年配向けなのか、CMがどれも「不老長寿を金で買おうぜ」と言ってるのが映画の続きみたいで面白かった。死ぬつもりが毛頭ない人間の言うことはそりゃだんだんAIと区別がつかなくなるわ。

 実体とデータのあわいに産まれた特別な子供が、本物と見分けがつかないほど懐かしい偽の記憶を作って売る。その簡単で繊細なお仕事は、第一作の思い出をひきずって生きてるファンに向けて作られた本作そのものであるように思った。ほんの一軒家ぐらいのスペースにおとぎ話のような優しい森が出現する。にせものと分かってるのにため息つかずにいられない。旧型たちの世界革命も、投影スイッチを切るようにぷつんと消えてなくなる夢かもしれない……

 わんわんは置き去りのままじゃないよね。Kといっしょに回収されたよね。そうだと言って。ワンショットでいいから無事な姿を見せて。わんショット。
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